社会システムと幸福論、ボリビアの決断から

先日、ボリビアの外務大臣が、2012年12月21日、マヤ暦に従って、資本主義とおさらばするのだ、といった趣旨の発表をしたらしい(ソース:olivia declara el fin del capitalismo y Coca-Cola por el calendario Maya)。

その日はマヤ暦で言うところの、現在の世界が終わり、新しい時代が始まる日とされている。世間が騒いでいる地球の終わりがくるわけではなく、コミュニティ精神とあいに満ちあふれた新しい宇宙時代の幕開け、というのが彼らの解釈。ボリビア政府はこの記念すべき日を祝うセレモニーをチチカカ湖で開催すべく準備中らしい。

資本主義にお別れ、コカ・コーラよさようなら、というボリビア、今のところ、世界の標準的価値観からいうと、非常に貧乏な国である。しかし、実は天然資源が膨大にある国でもある。それでも貧乏なのは、その資源を掘り起こす技術も財力もないため、とのこと。

また別の日、ウルグアイの大統領のリオ会議でのスピーチが一部で話題となっていた(日本語版はこちらで読めます、ぜひ読んでみてください:リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版))。現在の経済中心主義の形に疑問を投げかけた大統領も、資源が沢山あるにもかかわらず、世界で一番貧乏な大統領と呼ばれているらしい。

一部抜粋させていただく。

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか。

豊かさの基準とは一体なんだろうかと思う。ムヒカ大統領の言っていることはとてもシンプルで、多くの人たちも時にふと頭をかすめることだと思う。けれども大人になるにつれて、こういうシンプルな疑問は、ほかのそれらしく聞こえる理由たちに寄って打ち消されてしまう。

わたしは20代を東南アジアで過ごした。現地の日系企業に勤めていたので、比較的日本的な働き方をしていた(実際日本にいる人よりはましだったかもしれない)。時に、生きるために仕事をしているのではなく、仕事をするために生きていたようなこともあった。そんなとき、ふと周りを見ると、生きるために必要なだけ働いている友人たちがたくさんいた。

数年前、休暇にオマーンへ行った。オマーンでは働いている人はとても少なかった。夕方になると海沿いのベンチに座って歌を歌ったり、散歩したりする人たちの姿が見える。働かなくても国から十分な保証が出る、実に豊かな国だった。とても豊かだけれど、広告もネオンサインもなく、いろいろ便利な家電にあふれているわけでもない。

オマーンからバンコクに戻ってきたとき、いろんなものが薄っぺらく見えた。おしゃれなコンドミニアムに大きなショッピングセンター、コンビニに映画館。オマーンとは比べ物にならないくらいたくさんのものがあるのに、オマーンの方が豊かに見えた。バンコクにあるものはなにもかもがペラペラで、その場しのぎで、人々は消費させられているのだ、と感じた。

ラオスにもよく行った。ラオスの首都ビエンチャンは、世界一小さな首都と呼ばれていた。当時ビルなどほとんどなく、道路あまり舗装されていなかった。スーパーマーケットもなければ、ネオンサインもない。もちろん便利な家電などないし、夜になると街は暗くなり(電気を消さなければいけない決まり)、夕日を眺めながらメコン川沿いで夕涼みをしたあとは、日が落ちれば眠るだけだった。

当時のオマーンもラオスも、まだあまり資本主義経済やグローバリゼーションとは関わりがなかった。ネオンサインも、世界チェーンのスーパーマーケットもマクドナルドもなかった。ひとびとは食べ物に困ることもなくのんびり暮らしていたし、夕方になると水のそばで夕涼みをするのも似ていた。けれども、オマーンはお金持ちの国で、ラオスは貧乏な国だった。

豊さとはなんであろうか。

資本主義がもたらしてきたものは大きい。グローバリゼーションもまた然り。それらのせいで失われたものも大きい。懐古主義で昔がよかったと言っても、やはり便利さは捨てがたい。すべてが満足いく結果になるのはなかなか難しい。

ボリビアやウルグアイのように、国のトップクラスの人たちが、資本主義やグローバリゼーションに疑問を投げかけている国と、相変わらず現在の社会システムの中での豊かさを追い求めていく国。どんな国でどんな生活をして行くのが、己にとって豊かな人生であるのか、と自問してしまう。

小さい人のお気に入りの絵本に「祇園精舎」がある。平家物語の冒頭部分に絵をつけたものだ。それを読んで聞かせながら、これだけ台頭してきた資本主義も、そのうち「驕れるものは久しからず」とばかりに衰退して行く運命にあるのかもしれない、と思う日々である。

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