ベビーサイン、小さい人の手話

小さい人は、言葉を話し始める前に手話を覚えた。今のところ声に出して話すのはまだ一語文だけだけれど、手話が出来るおかげで、ハイブリッド二語文くらいは伝えられる。これのおかげで、わたしたち双方にとってストレスがだいぶ少なくて済んでいるのではないかと思う。

日本では「ベビーサイン」と呼ばれ、それを学ぶ講座や、講師の養成講座などもあるらしい。ベビーサインというのは、日本の手話や英語の手話の他、赤ちゃんがわかりやすい合図のようなものをいろいろ使いやすく改良したものがあるようだが、わたしは「どうせ手話を覚えるのなら、大人になっても使える本当の手話をベースにやろう。そして日本語の手話より英語の手話の方が話者人口が多いであろう」という大人の勝手な理由で、アメリカ英語手話をもとにやってみることにした。

ちなみにここを参考にした。

ASL, American Sign Language
http://lifeprint.com/

わたしは講座に通ったわけでもなく、まぁ、できたら面白い、くらいで、小さい人に話しかけるときに身振り手振りをつけてやってみることから始めた。最初の手話が出てくるまでどれくらいかかったのか覚えていないが、数日とか言うレベルではない。おそらく数ヶ月単位だ。こちらも適当な性格なので、やったりやらなかったり、まぁ、出来なきゃ出来ないでいいし、くらいでやっていたら、ある日ふと、小さい人が小さなお手々で「もっと」と言ったのだ。

ベビーサインのことを教えてくれた友人から「もっと」というサインだけ教わっていて(それはアメリカ英語手話にしようと思いつく以前から始めてしまったので独自サイン)、おっぱいをあげるたび「もっと? もっと?」とやっていた。実際小さい人がその手話を始めたときには、「もっと」ではなく「ちょうだい」の意味でやっていたのだけれど。それが「ちょうだい」であると気づくのにしばらくかかった。

ところで、「もっと」というのは、一番最初にやるには、ちょっと高次な概念だったと今となっては思う。「ちょうだい」はゼロを1にすることだけれど、「もっと」は既にそこに1以上のものがあってさらに1追加したい、ということ。

そんなわけで「もっと」は結局「ちょうだい」として定着したが、この「ちょうだい(ほしい)」ができるようになったおかげで、小さい人がどうしてほしいのか、すごく伝わってくるようになった。もしこれが出来ていなかったら、いろんな面でお互いにもっとストレスを感じていただろうな、と思う。

その後も、ふと、ずううっと前にやっていた手話を突然やり始めたりすることが重なった。まるで小さい人の中で長期間かけて熟成されて、それが花開いた、と言った感じ。

今では、飲みたい、食べたい、ほしい、だっこ、などと言った基本的な欲求を手話と独自のサインで表現できるようになり、わたしにわかってもらえないと怒ることがあまりなくなった。ベビーサインはお互いのストレスの軽減にとても役に立つと思う。時折、教えたつもりのない何かのサインで一生懸命伝えようとしてくれるときがあるが、そんなときは何度もそれをやってもらって、こちらがそれを学習する、という具合だ。

基本的には親子間だけで通じればいいので、わかりやすい簡単なものでやる方がいいと思う。わたしもアメリカ英語手話を調べてみて、ちょっと複雑だなと思ったらわかりやすいオリジナルに変えてしまったりすることも度々。それでもだいぶ役に立っている。

というわけで、ベビーサインはけっこうオススメ。

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