追体験を繰り返す日々

最近、乾杯をするのが流行の小さい人が、ワイングラスをテーブルにおいたときに、グラスの柄のところがポッキリ折れてしまった。小さな手にガラスの破片。驚いて彼女の手を開いて確認すると幸いにも怪我はなく、わたしは椅子ごと小さい人をテーブルから引き離して、大丈夫、怪我はないよ、よかったよかった、と撫でた。

小さい人は驚いたような顔をして、一生懸命「ごめんなさい」のサインを繰り返していた。グラスさん、壊してしまってごめんなさい、と。わたしにではなく、グラスに謝っていた。

それがとても愛おしくて、えらいね、グラスさんにちゃんと謝って偉いね、今のはわざとじゃないのだから、あなたは悪くないよ。怪我がなくて本当によかった、そう伝えた。

そしてふっと、小さい頃の自分が重なった。

小さい人と一緒に暮らしていると、さまざまな場面で、自分の小さかった頃の記憶がふっとよみがえってくる。小さい人が、小さかった頃の自分にそっくり置き換わり、わたしが自分の母に置き換わる。そして、同じ場面を繰り返す。

こんなとき母はどう感じていたんだろうか。小さなわたしはどんな反応をしただろうか。今のわたしの対応は、この小さな人を傷つけていないだろうか、或はスポイルしてしまっていないだろうか。そんな問いを日に何度も繰り返す。

日常の些細なことで、子供の頃のわたしはたくさん傷ついたことを思い出す。大人はそれを傷つけようとしてやっているわけではないことも、物事にはいろんな事情があることも、今となっては理解ができる。けれども子供の頃は、ストレートなわかりやすい愛情がほしかったのだ。大人になって事情を理解しても、子供の頃の傷は埋まらないし、それによって失ったものは取り返すことはできない。

愛情表現が得意ではない大人になってしまったわたしにとって、小さい人にストレートにわかりやすい愛情を注ぐと言うのは、なかなか難しい。自分の独りよがりではないか、きちんと対象に伝わっているか、常に不安は拭えない。

きっと安心してしまえるようにはならないのだろうけれど、こうしてことあるごとに過去の母と自分を重ね、その度、子供の自分がしてほしかったこと、を感じて、小さい人に接していこう、と、怪我のなかった小さな手を握って、改めて思った。

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