小さい人のなかの衝動

食事の後に洗い物をしていると、いつも小さい人が絶叫する。とにかく水に触りたいんだ、遊びたいんだ、床からの目線では何にも見えないからつまらないんだ、と思っていた。だからいつも、椅子を持っておいでと言って、洗い物の横でちょろちょろ水遊びをさせていた。お椀やスプーンでお水をすくっては口に運んだり、移し替えたりとそんなことを繰り返す。床はびちゃびちゃになるけれど、拭けばよい。

今日もまたそんな感じで絶叫するので、いつものように椅子を持ってきて水に触らせていた。わたしは台所の中をあれこれ歩き回りながら食後の片付けをしており、ふと気づくと小さい人はいつの間にか流しによじ上っていた。

こらこら、そんなとこにのぼってはいけない、と言っても耳を貸さない。深く集中している。様子を観察してみると、どうもいつもの水ぴちゃぴちゃ遊びとは違っている。右手にスポンジを持って、食器を洗っているのだった。

そもそも洗えるようなものはほぼ洗ってしまっていたので、ひとつだけプラスティックのお皿が残っていたそれを一生懸命洗っている。そしてそれをある程度洗うと、泡だらけのスポンジで、流しの中や台の上なんかをごしごしこすり始めた。

あまりにも集中して一生懸命にやっているので、そのままやらせておいて、わたしは自分の片付けをしながら観察していた。流しから始まって作業台の上、ガス台の上までスポンジで磨いてからタオルで拭いている。作業台の上にある水切りかごや包丁立てなんかは、小さい人がスポンジを持って迫ってくる前にさっとどかしてみた(小さい人には重すぎる)。

しまいには台拭きで窓を拭き始めたので、それでは逆に汚れてしまうので、窓は明日拭こう、と言って床におろした(本当はそこで窓ふき用の新聞なぞ出してあげられればよかったのだが、手元になかった&面倒だった)。もちろん床におろされた小さい人は絶叫した。

そりゃ怒るよね。集中していたんだもんね。中断させられたらいやだよね。

とはいえ、床掃除用のほうきとちりとりと雑巾もだしていたので、小さい人は早速雑巾で床を拭き、わたしが集めたゴミをゴミ箱に捨て、最後には掃除道具を物置に片付けて、満足そうに息をひとつついた。

見ていても圧倒されるような集中力だった。

小さい人は、内側からあふれてくる衝動に突き動かされているのだ。はじめてつかまり立ちが出来たときもそうだった。階段を上れるようになったとき、歩き始めたとき、いつも、ものすごいエネルギーが内側から彼女を突き動かしているようだった。それは、とにかくそれがやりたい、というよりも、それを今やらなくてはいけない、今ここでやらないという選択肢が存在しない、というくらいのエネルギーで、なんどもなんども繰り返し、出来たときにはものすごい喜びに満ちた顔で笑うのだ。

その集中した小さい人に口を挟んでしまったことをすごく反省した。わたしは自分が何かしているときに小さい人が手を出すと、邪魔者扱いするのに、同じことを小さい人にいつもしているのだ。小さい人にしたら「だってママもいつもわたしに最後までやらせてくれないじゃない」というのじゃないかな、と思う。

途中で口出ししてしまったり、中断してしまったりする理由のほとんどは、大人の都合だ。例えば「何度も掃除するのが面倒だ」とか「洋服が汚れる」とか「そこでやられると邪魔だ」とか、そういう理由ばかり。

だから本来は、掃除を簡単にできるように準備して、洋服は汚れてもいいようにカバーして、小さい人用のスペースを与えて、思う存分やらせればいいのだろうと思う。

ああ、これって、幼稚園じゃないか。これが幼児教育か。

と、そんなことを考えながら、小さい人の寝息を聞いている。

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