小さい人は耳がよい

小さい人は耳が良い。

わたしには聞こえない飛行機の音を聞きつけて空を指差したり、突然チャオチャオと言いだすから何かと思うと、踏切がカンカンとなりだし電車がやってきたり。

子供の頃と今では聞こえる音が違うような気がする。モスキート音みたいに、子供の耳には聞こえて、大人には聞こえない音は、他にも沢山あるのかもしれない。

小さい頃から、わたしは掃除機の音と飛行機の音がとてもとても嫌いだった。嫌いと言うかもはや怖いというほど、脳みそをかきむしられるみたいな感じがして呼吸が浅くなり、心臓がどきどきする。最近はだいぶ平気になっている。小さい人がもっと小さい頃、都会の道路に連れ出したときに耳を塞いで苦しそうな顔をしていたときに、そういえば自分も嫌いな音があったなぁ、と思い出した。

世界は雑音であふれている。しかし、人はそれに慣れる。

しばらく静かな家で暮らしてから、道路沿いの家に引っ越したら、あまりにうるさくて眠れない日が続きノイローゼになりそうだったことがある。ところが同じ家にいた他の人は、ここは静かで良い、という。前にすんでいたところはもっとうるさかったのだろう。

テレビの音も同じ。私はテレビの音が雑音だと感じる。テレビを見ていないときは、音を消す。以前一人暮らしをしていたとき、寂しいのでテレビはつけておくが、音は消して見もしなかった。でも、テレビをいつもつけている人にとっては、その中で電話をしたり、会話をしたりするのが苦じゃないらしい。

アルゼンチンで暮らしていた家は、道路からの車の音も少しは届くけれど、庭にはいつもいろんな鳥が飛んできて、ハチドリの羽音さえも聞こえた。ハチドリの羽音が聞こえると、わたしたちは指を立てて声を潜め、ハチドリの姿を探した。

日本でも、神社なんかにいくと、町の喧噪は届かず、いろんな音が聞こえる場所がたくさんある。雪のたくさんつもった田舎は、雪が音を吸い取っているように静かだったりする。

小さい人の耳も、きっとあっという間に喧噪になれる。そうするとなかなか、小さな音は聞き分けられなくなるだろう。きっと今は私以上にいろんな音が聞こえているはずで(きっと私はもうたくさんの美しい音を聞けなくなっている)、その繊細な能力を、つぶすことなく伸ばしてやりたいと思う。そして、あわよくば自分も一緒に、また、繊細な音を聞き分けて味わえるようになりたいものだ。

そんなわけで、神社にでもお散歩に行こう。

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