身体の凝りと心の痼り

子どもの頃から文章を書くのが好きだった。好きというよりも、書かずにはいられない、書かずには頭の中が整理できない、と言った感じ。それが、この3年、全く書かなくなった。書こうとするのだけれど、指がすくむ。怖いのだ。

書くことが出来なくなると同時に、絵も描けなくなった。ものを作ることも出来なくなった。そして脳みそがどんどんと汚泥のようにぬかるんできた。

表現することが怖くなった。怖がることはないのだ、と頭で言い聞かせても、心が怖がったまんまだ。リハビリのつもりでブログを書いてみても、言葉はとてもたどたどしく、おぼつかなく、心が伝わらない、いびつな文章しか書くことが出来ない。結局公開ボタンを押さずに消してしまうことばかり。

画用紙と筆を渡されて、何も描けなかった。そんな自分が情けなくなる。かつては紙とペンさえあればいくらでも時間をつぶせたというのに。

そうやって書くことが出来なくなっているうちに、サーバの契約が切れ、かつて書き溜めたブログのデータはすべて消えた。大切な宝物が消えてしまったみたいだ。自分の存在した記録が消えてしまったみたい。

また書き始めれば良いじゃない、と自分に言い聞かせる。けれども、怖いという気持ちが消えない。何が怖いんだろう。書くことが怖いのか、人にそれを読まれるのが怖いのか。自分をコンテンツ化するのが怖いのか。自分でもよくわからない。

書かなくなると、自分の心のうちを上手く整理することが出来ない。表現をしてアウトプットをしないと、自分の中でどんどん溜まっていってしまう。それがよいことだとは思っていないし、なんとかしたいのだけれど、どうにもならないまま3年もたってしまった。最初は一時的な精神的ショックだったのに、3年も続けると習慣になってしまう。怖い。

マッサージ修行にタイに戻ってきている。マッサージの技術を学びながら、自分に足りないのは自信だ、としみじみと思う。以前の自分がなぜあんなに自信満々だったのか、自信を持てるような根拠なんてなかったのに、と不思議に思うほどだ。

マッサージを修行していると、自分の脳みそがいかに心をないがしろにしてきたのか、と感じる。友人が悲しんでいるときには、悲しいなら泣けば良いのよ、なんて言っておきながら、自分が悲しんでいるときには、悲しんでいるという事実すら認めたがらない。自分を一番ないがしろにしているのは、自分自身だ。

いまはまだ、心のしこりはまだとけていないし、自信は持てないままだ。今こうして文章を書いてみて、結局いつもと同じく、「公開」する前に削除してしまうのか、なんて考えている。でも、チェンマイで他人に内蔵を優しく揉み解してもらったり、筋肉の奥の奥の凝りを叩いてもらったりしながら、他人ですらこんなにいたわってくれるのだから、自分が自分の心のしこりをほぐすことって悪いことじゃないんだ、と感じてきた、ちょっとだけ。

まだまだ先は長いけれど、たとえこの文章が、文字通り、自慰だとしても、今日は思い切って「公開」を押そう。それもちいさな一歩。

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