『愛着障害 子ども時代を引きずる人々 』を読んだ

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)という本を読んでいる。

生後半年から一歳半くらいまでの間に形成される母あるいは主となる養育者と子の間に形成される愛着のタイプと、それによって影響を受けるその後の人生について論じた本。生後6ヶ月から1歳半が臨界期と本書では書いてあるが、読んでみると臨界期というより敏感期というのがいいのではないかと感じた。

その後の影響、について、一般によく知られた文豪などを例に挙げて説明してあるので、非常にわかりやすい。文豪は文豪であるが故に、その心のうちをまざまざと文章で残してくれているので、研究材料としてはとてもいいのだろうとおもう。そういう人たちが、いかに波瀾万丈な人生を送って、そして終わらせてきたか。それが書いてある。

読みながら、ああ、じぶんはこれか、という思いがたくさん湧いてきた。そして、ああ、あのひともきっとこういうことだったんだろう、そうか、そういうことだったのか、と納得できる事例と解説がたくさん載っている。

母子間の影響の大きさについても論じられていて、身のすくむ思いだ。

小さい人と暮らし始めてから、こういった話題について時々読むようになった。その度、自分の子供時代をいやでも振り返ることになる。

こういう本を読み続けるに至って、私はやはり自分の中でいろいろと消化されていない問題が沢山あるんだろうということは薄々感じてきている。特にこの数年はその思いがいっそう強い。

詳しいことは書き始めると長いし辛いが、わたしは本書にある、不安定な愛着を形成する要因である「母親との愛着形成不全」「複数の養育者」「愛着対象との離別」のすべてを経験している。母はあまり子育てが得意でなく、懐いていた父とは幼少の頃に死別し、現在母とはすっきりしない関係だ。人に甘えたり頼ったりするのが極端に苦手で、最後の最後まで独力でなんとかしようとしてしきれず、つぶれたことも数回。他人に期待をしても必ずしも報われるとは限らないから、傷つくくらいなら最初から求めない、と言う態度になりがち。ずっと自己否定感に苛まれつつも、同時に根拠のない自信もあったりする。いつも全か無かで考えがちで、他の可能性を理解していても心理的に受け入れられなかったりする。

こうやって本書にある例のうちから自分に当てはまるものを引っ張ってきて並べると、いかに自分はアンバランスな人間なんだろうか、と、情けなくなる。

本書では愛着障害の克服方法についても触れられているが、アダルトチルドレンの克服方法ととても似ている。両方とも根本原因は幼少時代、特に愛着障害に至っては、生後6ヶ月から1歳半がコアな時期とされているので、そのくらいの時期までさかのぼって、そこから人生をやり直すような感じで癒していくことになる。

私が毎日の生活の中で、小さい人に自分を重ねているのも、これに近いのかもしれない。小さい人が転んだら、私は駆け寄って行って抱き起こす。怪我をしたら、大丈夫? いたいのいたいのとんでけ! とやってやる。これらは私が子供の頃、してほしかったことだ。いつも一緒にいてほしかった、学校の行事にきてほしかった。ご飯を作ってほしかったし、一緒に遊んでほしかった。失敗や成長を笑ってほしくなかったし、頑張ったことをほめてほしかった。お金やものがほしかったのではなく、笑って抱きしめてほしかった。私は我が子をいたわりながら、同時に小さい頃の自分もいたわっているのかもしれない。

本書によると、自分が「理想の親」となって子供や後輩などを育てて行く、というのも愛着障害克服のひとつの手段となりうるとある。私自身が、こういうのを克服して十分に癒されて行くことが、我が子そして後の世代にとって少しでもプラスになるなら。そしてその上で、自分自身の生き辛さも解消されて行くのなら、とてもうれしい。

アダルトチルドレンにしても愛着障害にしても、親、特に母親からの影響が大きいとされている。その負の連鎖を自分の台で止めるべく、本を読んだり、人の話を聞いたり、実践し続けて行きたい。

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4件のコメント

  1. はじめまして。
    永尾と言います。

    この記事を読んで 「私も」と思いました。
    母とは普通に接していますが 辛い事が有っても甘えれません。
    実家に帰って泣きついた事も出来なかったです。

    両親以外にも自分が出せずにいます。今47歳になっても笑
    そして25歳になる娘に「もう私たちの為に今まで十分にしてきてくれたから頑張りすぎないで」
    と言われています。
    でもなかなかそれが出来ません。 

    >自分が「理想の親」となって子供や後輩などを育てて行く、というのも愛着障害克服のひとつの手段となりうるとある。
    >私が毎日の生活の中で、小さい人に自分を重ねているのも、これに近いのかもしれない。小さい人が転んだら、私は駆け寄って行って抱き起こす。怪我をしたら、大丈夫? いたいのいたいのとんでけ! とやってやる。これらは私が子供の頃、してほしかったことだ。いつも一緒にいてほしかった、学校の行事にきてほしかった。ご飯を作ってほしかったし、一緒に遊んでほしかった。失敗や成長を笑ってほしくなかったし、頑張ったことをほめてほしかった。お金やものがほしかったのではなく、笑って抱きしめてほしかった。私は我が子をいたわりながら、同時に小さい頃の自分もいたわっているのかもしれない。

    痛い程納得し長年の疑問が解消されましたました。
    10代の頃からの夢は「幸せな家庭」を作る事でした。
    貧しくても暖かくて何でも話せて自分なりのいい家族を目指した結果 今現在 優しい娘に
    育ってくれて夫と娘に癒されています。

    Mate y Libroさんも小さい人と子育て楽しんで下さい^^
    そして この出会いを有り難う。

    長くなってすみません 思わず語ってしまいました笑
    では。

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  2. Buenos días.

    読み返す事無く返信してしまって、変な文になっていました。(特に最初らへん)

    「今では普通に母とは接していますが今でも両親に甘える事が出来ない自分がいる」と言う事を
    伝えようとしていました。
     
    何度も申し訳ないです。

    いいね

    1. 長尾さま、コメントありがとうございます。
      最近このブログを放置していて、お返事が遅くなりたいへん失礼いたしました。このブログ自体、自分の内面を吐露する独り言のようなかんじだったので、こういった記事にコメントを頂けてとても励みになります。

      同じような生き辛さを抱えていらっしゃいながら、後の世代にそれを引き継がなかったというのはとてもすばらしいことだと思います。そして、そういった実例を知り、わたしもなんだか勇気がわいてきました。
      小さい人はずんずんおおきくなり、大変な毎日ですが、幸せです。
      わたしも将来、我が子が困ったときに頼ってきてくれるような親でありたいと思っています。
      コメント本当にありがとうございました。

      いいね

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