コミュニティに迎合する為に身体を切り売りして友人を買収して幸せになるお話の絵本

にじいろのさかな (世界の絵本)
マーカス・フィスター
講談社
売り上げランキング: 14,417

以前、娘へのプレゼントとしていただいた本。とても奇麗な絵とキラキラ光るそのうろこに、こどもは飛びつくに違いない。

しかし、せがまれるままに読んでみること数回、どうしても違和感を感じずにはいられない。この本を娘に読み続けたいかと自問するとNOという答えが出る。ついに、押し入れにしまい込んだ(せがまれないように)。

ストーリーを簡単に書くと…

にじうおと呼ばれるキラキラ光る美しい鱗をもった魚がいた。まわりの魚たちはそのキラキラ光る鱗をうらやんでいた。一匹の魚が「奇麗な鱗ちょうだ い」ってくる。でもにじうおはあげないで得意げに泳いでいく。その噂が広まって、海じゅうの魚たちからにじうおは無視される。ちやほやされなくなったにじ うおは悲しくてタコに相談に行く。

私はこの先、それぞれの魚はそれぞれ美しさがあるのだ、という話に落ち着くのかと期待していたが違った。

その後、にじうおはタコのアドバイスに基づいて、自分のキラキラの鱗をいちまいいちまい、他の魚にあげていく。周りの魚はどんどん貰いにくる。とうとう最後にはにじうおのきらきらの鱗は一枚だけ残り、にじうおはそれでもハッピーになった、というお話だった。

これって、友人をもの(しかも自分の身体の一部)で買収している話じゃないか。そしてハッピーになった理由は自分がポピュラーになったから。でもそ の時点で自分の持っていた美しい物はなくなり、じぶんも他の魚もみんな同じになっている。お話はポピュラーになってハッピーになった時点で終わっている が、このあともうあげるもののなくなったにじうおは、きっとまたハブられるか、少なくともどうやって他者と関係を築いていけばいいのかわからずに苦悶する に違いない。買収以外の方法で友達を作ったことがないのだから。

にじうおの当初の高飛車な態度はもちろん問題ありだと思うが、それよりも集団で無視するとか、誰かが一枚貰えたからと言って、わらわらとおこぼれに ありついてほとんど身ぐるみはがすようにしてきらきらの鱗を持っていく集団とか、そっちの方がどうなの、とおもう。にじうおはそのコミュニティに同化し迎 合する為に、自分の鱗を対価として払っている。にじうおがタコのアドバイス(というか指示)をそのマンマ受け入れていたり、にじうおの幸せの基準が、自己 にあるのではなく、他者に受け入れられたと言うことだけに根ざしているのも危険な感じがする。

また、他の魚たちの立場が正当化されているような書かれ方なので、自分たちと違う姿の者は無視してもよい、或は美しい者を持っている者がいたらそれ にたかってもよい。富は公平に分配されるべきであり、そうするように圧力をかけるのは正義であり、富を分配しない者はコミュニティからはじかれるのも当然 である、といったようなメッセージも伝わってくる。なんとういうか、共産主義的。

これはシェアの話ではない。身体についているきらきらの鱗は、持って産まれたものだ。それはシェアするものじゃなくて、尊重するものだと思う。にじうおにはにじうおの美しい鱗があるが、他の魚には他の魚のいいものがあるだろう。

私が娘に教えたい幸せとは、こういうことじゃないな、と、ブログにかきながら再確認した。

アマゾンのレビューでかなり好評かなのが驚きだった。amazon.comの方をみると、★5つと★ひとつが同じくらいいるので、英語圏では評価がまっぷたつに分かれているようだ。

贈ってくれた方には申し訳ないが、我が家ではお蔵入りにします。

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