子供は親をクビにする – そうならない為の親業訓練

親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方
トマス ゴードン
大和書房
売り上げランキング: 5,269

★★★★★

親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方』を読み終わった。

親は、素人である。こどもが出来たら親になる。親になるのには資格はいらないし、研修コースに参加せずとも、親業をはじめられる。仕事でもスポーツでもなんでも、うまくできるようになる為には訓練が必要である。親業もそうだ。このことについては、10代の頃から薄々感づいてはいたが(自分が自分の親をクビにした経験から)、実際自分が親になってみるとなおさら実感する。自分は素人であり、効果的な親業を営む為には、知識と訓練が必要だ。もし今何もしないでいたら、娘が思春期になったら私は親業をクビにされるに違いない。

世の中のほとんどの親は、その親から引き継いだ方法で子育てをしている。毒親に育てられると自分も毒親になる可能性が非常に高いようだし(わたしもそれを恐れているので勉強している)、毒に限らず、いいも悪いも含め、親と同じことをしていることが非常に多い。そうして2000年前から脈々と続けられてきた方法で、私たちもこどもを育てている。

けれども、2000年前の方法ではいろいろとあわないことが沢山ある。現代では科学や心理学が発達し、実際に効果的か否かというのが計れたり、様々なことの因果関係がわかってきている。そして2000年前の様々な方法がこどもの発達によくないということも明るみに出てきている。

わたしたちはラッキーだ。こうして様々な情報を得、自分たちの親業を見つめ直すことが出来る。わたしたちの親の代、その親の代には、親業についての情報なんて限られていたし、こうして考えるきっかけもすごく少なかったに違いない。だから、いままで負の流れを止められなかった。でも、わたしたちなら出来る。

さて、本書の内容を簡単にまとめておく。本書にはいろいろと詳細にわたって、親業のテクニックが解説されているが、ポイントとなるテクニックは、以下の3つではないかと思う。

能動的な聞き方を使う
「わたしメッセージ」を使う
「勝負なし」法

これらを効果的に使うことによって、親子間の無駄な対立が避けられ、対立がある場合には公平に双方が納得いく方法で解決策を見つけ出せる。なにより、大人とこども(あるいは家族のメンバーそれぞれ)が、お互いを尊重し、落ち着いた気持ちで暮らせるようになる。
能動的な聞き方

心理学や他の子育ての本を読んでいてもよく出てくるのがこれ。「能動的な聞き方」と言われるとピンと来ないかもしれないが、簡単に言うと相手の言うことを否定したり、解釈したり、説教したりせずに「ふーん、そうなの」といった態度でいること。かける言葉は基本おうむ返しだが、ポイントとしては言葉そのままのおうむ返しだけでなく、心理的おうむ返しをすることだ。

例えばこんなかんじ。

子「学校に行きたくない」
親「そう、学校に行きたくないのね」(能動的な聞き方)
子「うん、行きたくない。Aくんに会いたくないんだ、けんかしたんだ」
親「そうなの、Aくんと喧嘩してもう会いたくないから、学校にも行きたくないのね」(能動的な聞き方)
子「そうだよ。Aくんにすごく怒っているんだ。学校に行ったら顔をみなくちゃいけないから。でも学校に行かないと他の友達にも会えないなぁ」
親「他のお友達に会えないのはつまらないのね」(能動的な聞き方)
子「うん、それにみんなで遊ぶときもいつもAくんも一緒だから楽しいんだ」
親「Aくんも入れてみんなで遊ぶのは楽しいのね」(能動的な聞き方)
子「うん、楽しい。やっぱりみんなで楽しく遊びたいなぁ。Aくんと仲直りしたい。」
親「Aくんと仲直りできたらみんなでまた遊べるのね」(能動的な聞き方)
子「そうだね、明日学校へ行ってAくんと話してみるよ」

自分ではけっこうこれは出来ていると思っていたが、本書に出てくるダメな例を読みながら、自分はダメな例をたくさんやっているなぁ、と気づいた。

例えば今日の夕食の席。

子「ごはんたべないの」
私「どうして? おいしいのに、食べてごらん」(質問、尋問、提案)
子「これやってるから(なんか他のことをしながら)たべなーい」
私「せっかく作ったのに、ちょっと食べてよ」(指示、命令)
子「いらなーい」
私「食べなさい、食べないと片付けちゃうよ、いいの?」(命令、脅迫)
子「だめ、かたづけちゃだめー、たべるの」
私「じゃ、食べて」(命令)
子「いらなーい」
私「じゃ、もう片付ける」(中止)
子「ごはん〜! うわぁ〜ん!」

ほんとにダメな例そのまんまである。私は娘の問題を勝手に取り上げ、勝手にそれを処理してしまっている。

本書に出てくるいい例では、能動的な聞き方をしていると「なんで?」と聞かなくても子供の方からどうしてそういう反応をするのかの理由を話してくれることが多い。ほんとにそんなにうまくいくのかなぁ、と思うところもあるが、能動的に反応されると反抗する要因がないので、そうなっていくのかもしれない。

今こうして自分の例をみていると、最初の段階で娘は「○○しているから」という理由を言っているが、私はそれを無視している。近頃の我が子は何でもNOで、それに対して必ず「○○しているから」と理由を付けるのだけれど、それらが実際関係なことであることが多く、私はついそれを無視してしまっている。また、娘はまだ語彙が少なく、きちんと説明することが出来ないので、つい私がそれを軽くあしらっている。聞いていない。猛省。

能動的な聞き方で返すと、こどもは何も否定されず、脅迫も命令もされず、自分の問題は自分の問題として考えることが出来る。親が提案したり、命令したりすると、その時点で問題は親の問題となってしまい、子供はそれに徹底的に反抗するか、その問題を自分で解決することを放棄する。

この『問題の所有者は誰か』という視点は、能動的な聞き方を実践する上でとても重要なポイントだと思う。
「わたしメッセージ」を使う

子供に何か言うときに、それが「わたしメッセージ」であるか「あなたメッセージ」であるか意識すると、驚くほど「あなたメッセージ」を送っていることに気づく。あなたメッセージではこどもは否定され、侮辱され、傷つけられる。それに対して反抗したり、あるいは表面上は従ったりしても内心憎しみを抱いていたりする。

例えば、子供が騒いでいてゆっくり新聞が読めない父親の例。

「あなたメッセージ」で子供に何か言おうとすると…

うるさい! しずかにしろ!
あっちへいけ。
そんなに馬鹿みたいに騒ぐな。
もう赤ちゃんじゃないだろう。

「わたしメッセージ」ではこうなる。

(わたしは)落ち着いて新聞が読みたいんだがなぁ。
(わたしは)周りがうるさくて気が散ってしまうよ。
(わたしは)うるさくて新聞の内容が頭に入ってこなくて困ってるんだがなぁ。

このような場面での「わたしメッセージ」はよく使っているが、どうも我が子には、私が実際どれくらい迷惑を被っているのか、不快な気持ちでいるのかが伝わっていないのか、それとも、相手が不快であることは素べきではない、という気持ちがまだ育っていないのか、なかなかドンピシャな効果は得られていない。ただ、うるさい! やめなさい! と言う場合に比べて、もう本当に圧倒的に反応が違うので(うるさい! と言った場合は、反抗する)、効果がないわけではない。

娘はよく私の食事の邪魔をする(食事中にこちらの椅子によじ上ってくる)ので、いつも「わたしは落ち着いてご飯が食べたい。邪魔されると困る」ということを伝えているが、未だにやる。しかし、今日夕食のとき、遊びにきていたとなりの猫にお魚をあげて、それをじっと見る娘が「じゃましなーい」と言っていたので、伝わっているんだろうと思う。

あなたメッセージを使うと、子供は自分が悪い子だ、バカだと感じ、自己肯定感が育たない。わたしメッセージの場合、問題の所有者はあくまでわたしであり、あなたではない。

私自身、こどもの頃傷ついた母親の言動は、みんな「あなたメッセージ」だったことを思い出した。情けないが、いまでもたっぷり引きずっているし、おかげさまで自己肯定感はなかなか低いまんまなので、「あなたメッセージ」の弊害はよく理解が出来る
「勝負なし」法

多くの親は、親子間で対立が発生した場合、「親が勝ち、子が負ける(第1法)」か「親が負け、子がかつ(第2法)」で解決しようとする。第1法の場合、子は親の力で解決策を強制され、表面上従うが内心怒りが溜まっている。第2法ではその逆で、親はいつもこどもに譲歩してこどものやりたいようにさせるが、本当はそうしたくないと思っている。「勝負なし法」は、これらとは違って、両方が納得する解決策をだす、という方法だ。

これは、友人間で何か決めるときなどを想像するとわかりやすい。あるいは会議でもいい。何か解決しなくてはいけない問題が起こったとき、友人間であればどちらかがねじ伏せるわけではなく、双方納得いく案に決着することが多い。これを親子でやる、というだけのことだ。ステップは以下。

何についての対立かはっきりさせる
色々な解決策をだしてみる(当事者全員で)
出てきた案をひとつずつ検討する
一番いい解決策を択ぶ(誰もが納得するもの)
実行方法を考える
うまくいっているかどうか調べる

ポイントは、当事者全員かつ、当事者以外は席を外した状況で、それぞれが意見を出し合うというところだ。そして、誰もが納得いく案をえらぶ。そうしたことによって、参加者はその解決策に対して自分も責任の一端を担っているという気持ちになり、責任転嫁したり、実行しなかったりすることがぐっと減る。もちろん、一度えらんだからと言ってそれがうまく行くとは限らないし、無理があったりすることもあるので、フォローアップをつづけ、うまく言っていないようなら何が問題なのかまた話し合えばよい。

本書を読んでいると、モンテッソーリの基本理念とか、心理カウンセリングとかに非常に通じる部分を感じる。根底にあるのは、こどもをきちんと尊重するという気持ちだと思う。尊重しているから、判断を出来るだけこどもに任せ、それによって子供はやる気や責任感を持つ。相手に解決策や批判を押し付けられることがないので、反抗する必要もない。

私はまだ親になって2年目、親業について勉強中の身。まだまだ未熟でうまく出来ないことだらけだ。ただ、子供業はもう30年以上やっていて、10代の頃自分は親をクビにした。どういう扱いを受けて傷ついたか、どうして反抗してきたか、どうしてほしかったか、そういうことを少しだけれどまだ覚えている。根底には「子供には自分のように育ってほしくない。自分の親のようにはなりたくない」という思いがあり、脈々と受け継がれてきた毒親の系譜を、私の代で断ち切りたい、と勉強している。

ちなみにこの本は1977年に出版された物で、いささか古い。内容的には非常に納得のいく物であるが、過去40年くらいの間に、もっとさまざまな研究がすすんでいるはずなので、アップデート版があると嬉しい。

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