モンテッソーリ的態度と話し方

I’m doing a hard work.

ショートカットの小さな女の子が、お花の茎と葉っぱを切って小さなコップに水を注いで、それを生けていた。それをみていた他の子が、なにやってるの? ときく。それにその子はこう答えたのだ。

茎と葉っぱだけだったのは、その直前までその子の双子の姉妹が「お花を生ける」というお仕事をしていたため、茎と葉っぱしか残っていなかった為だ。それでもその子はとても凛とした態度で、尊厳を持って、茎と葉を活け、満足そうに教室の中の机にその茎の入ったコップを置いてまわった。作業をしている途中の子は、机の隅に置かれたコップをみて、ありがとう、と言う。

モンテッソーリのこどもの家の2回目のオブザベーションに行ってきた。2時間壁の一部になって教室の中を観察していたのだけれど、そこここで感動的な場面が繰り広げられていた。子どもたちの態度、教室の静けさもさることながら、モンテッソーリ教師の態度に非常に学ぶ物が多く、また、己の未熟さをたいそう反省させられた。

モンテッソーリの教室は基本的にはみんな別のことをやっているので、先生が中心に立って「みなさーん!」とか叫ぶことがほとんどない。そのうえ教師たちは非常に穏やかに、ささやくように静かに話すので、気をつけて聞かないと教師が何を言っているのか、壁になりきった私のところまで届いてこない。

教師がそんなに声が小さくていいのか、と思われるかもしれないが、これは本当に全く問題がない。なぜなら、前述の通り教師が全体に向かって話すことはほとんどなく(一応一日15分から30分くらいはサークルタイムがあり、そのときは全体に向かって話す)、ほとんどの会話が生徒と一対一な為だ。教師と生徒は一対一で必要な情報を交換し合い、教師は指示を出すわけではなく、何か頼むことがあればきちんと「Could you please?」の形で子どもに頼み事をする。

考えてみれば、私が育った日本的教育のなかで行われていたような、特定の子にしか該当しない件について教壇の上から大声で叫ぶというのは、他の子にしてみたら邪魔なことだ。その内容が、その子を叱るようなことだった場合、その子は大勢の前で辱められたことにショックを受けるだろうし、他の子は自分と関係ないのにすごく嫌な気持ちを一緒に味わう。どんな内容であれ、個人的なこともすべて教室の全員とシェアされるというのは、日本的連帯責任とか、村八分とか、和の精神のひとつの現れなんだろう。

サークルタイムにも見学していたのだが、そのときみんなで歌を歌った。歌う前に先生は「歌える人は一緒に歌ってください。もし歌いたくないのなら、静かにしていてください」と言った。「さぁ皆さん一緒に歌いましょう」でも「歌いなさい」でもない。歌いたくないという主張も認めるが、邪魔はするな、と言う。これを聞いたとき、日本で時折問題になる国歌斉唱についてを思い出した。最近はなんと口元を相互監視して歌っているかどうかチェックしているらしいではないか。そのニュースをみて、あぁなんとあほくさい、と思ったが、こういうことを大問題とする社会があるというのは事実なのだ。

オブザベーション中メモを取ってきた。教師の態度に関するメモにはこうある。

その子だけに話しかける。
遠くから指して叫んだりしない。
「しずかに!」とか大声で言わないで静かに「シィーっ」とその子だけに向かって言う。
Noを言っているのをきかなかった。
「ワーオ! ユーアーワンダフル!」みたいな過剰な賞賛もない。
ことあるごとに子どもに選択させる。
とても静かに歩く、特に教具のプレゼンテーションのときは足の指先まで神経を使っている感じ。
Pleaseやexcuse meをつけて話す。
教具が散らかってしまっても基本的には何も言わない>子どもたちが自主的に片付け始める。
子どもが使っているものに触るときに子どもに許可を求める。

こうして箇条書きにしてみると、大人が他の大人と穏やかに関わっていく上で必要なことを、子どもに対してしている、ということに気づく。自分はつい自分の子どもに対して、こういう礼儀正しさを欠いていることが多く、非常に反省させられた。

例えば私はこんなことをして我が子を冒涜している。

遠くから「No! それダメ!」とか大声で否定語をなげかける
「うるさい!」と叫ぶ
「片付けなさい!」と言う
勝手に触って「こうやるんだよー」なんて言う
「どいて」とか「それかして」とか言う
勝手に択んで与える

あぁ、自分ってなんて乱暴な人間なのだろう。反省。モンテッソーリに感化され、親業(親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方)の本を読み、気をつけていてもそれでもまだこんな乱暴なのだ。もしそういった物に出会っていなかったら、と思うと恐ろしい。

ちなみに、サークルタイムに言葉遣いについても教えていた。

ひとりの子が席を立った間に他の子がその椅子に座ってしまった。最初の子は戻ってきてその子をどかそうとしたが、先生が止めて、こういうときはなんて言うの? ときく。その子はまだ3歳できちんと話せないのだけれど、先生は落ち着いて教える。

Excuse me, you are sitting on my chair.

「それは僕の椅子だ」でも「どいてくれ」でもない。「失礼ですが、あなたは僕の椅子に座っています」だ。

もし、自分が作業している間に誰かに邪魔されたらこういいましょう。

Excuse me, you are disturbing my work.

日本語にするととても直接的で、攻撃的にすら聞こえる。ここまで直接言っていいのかな? と私は思ってしまうが。冒頭にあげたような「I’m doing hard work」的な言い方の方が柔らかいがきっぱりと拒絶を表せていていいのではないのかな? ともちょっとおもう。いずれにせよ、誰かに何かされたときに怒るのでも無視するのでもなく、冷静に言葉で拒絶を表せる能力というのはとても重要だ、自分はなかなかそれが出来ない。

もし、作業が終わっていないのにお友達に話しかけられたらこういって、作業を続け、おわったらお話しましょう。

Excuse me, can I talk to you later when I’m finished?

これが言えるか言えないかはとても大きな違いがあると思う。大人になって仕事をしていると、色々頼まれごとをしたりして集中力がぷちぷち切れることがある。その度に対応していたら自分の仕事は終わらないし、効率もがくっと下がる。人を待たせることを躊躇してすべてが中途半端になってしまうより、集中してひとつのことを終わらせて、それから次のことに集中すればよい。

モンテッソーリのやり方は、子どもは大人と違うとう大前提に基づいているが、だからといって子ども向けの話し方はしない。実際こういった言葉遣いとか態度をみていると、尊厳を持った礼儀正しい大人の態度に本当に小さいうちから当たり前に触れるということが大切なんだろう。

まずは私はもっと我が子に対して礼儀正しく接するべきだし、少なくとも冒涜するのをやめなくてはならない。

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