褒めたり励ましたりもタイミングをミスると単なる邪魔

モンテッソーリにハマってみると、集中力を途切れさせる要素って本当にいっぱいあるなあ、と感じるようになってきた。その中でも最近気になっているのは、褒め言葉やかけ声。

褒め言葉は悪い物じゃないが、時と場合をわきまえないと、単なる邪魔になる。

例えば、子どもが一生懸命はさみを使っている。線の上を切らないと、と思っているがうまく出来ない、でも一生懸命せいいっぱいやっている。そこで大人が

上手ね。
手を切らないようにね。
線にそって切るんだよ。
まぁ上手上手、そうそう。

なんて、やっている途中に言う。もし、これらのことばが届かないほどに没入しているのなら害はないけれど、そうでない場合、こういうかけ声も邪魔になるのだ。自分が同じ状況で同じこと言われたら「わかってるってば!」とかイラっとしてしまうだろう。

作業に移る前に、線の上を切ること、手を切らないように気をつけること、ゆっくりやること、などをきちんと伝えておけば、途中でいちいち言う必要はない。もちろん、子どもは一発で出来るわけではないので、線からずれるだろうし、手を切ることもあるだろう。「線に沿って切る」ことを理解していないためならば、いったん終わってからもう一度教えればいいし、それともまだ訓練が足りない為に線に沿って切ることができないのならば、黙って見守ってやればいい。

褒める=いいこと、っていう妄信は、「愛我あればすべてが許される」という毒親およびストーカーの発想と通じるもんがあるんじゃないかなぁ、という極端なことまで考えてしまう。

とはいえ、手も口もださないで堪えるって、むずかしいのですよ… 日々修行ってかんじです。

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