一年のあいだに

一年近くこのブログを放置していた。途中で他のブログにつらつら書いていたけれど、なんだか仮面をかぶったような気持ちで書いている文章だった。久しぶりにこのブログにログインしたら、『愛着障害』の読書感想文の記事にコメントがついていた。そしてその記事そのものを読み返し、1年前の我が子の様子の記事を見直して、なんだか心がじんわりあったかくなった。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)
岡田 尊司
光文社 (2011-09-16)
売り上げランキング: 1,486

ここに戻ってこようかな。

この1年、自分の子供をコンテンツにすることに対する疑問もあって、あまり子供のことを書かなかったし、自分を含む登場人物が特定されることがいやで、ぼかしまくって書いていたら、結局自分も書いていて楽しくなく、書くことも減ってきた。けれども、今こうして1年前のものをよむにつけ、たとえ自分だけでもこうやって振り返ってなにか得るものがあるのなら、という気持ちになってきた。

小さい人が転んだら、私は駆け寄って行って抱き起こす。怪我をしたら、大丈夫? いたいのいたいのとんでけ! とやってやる。これらは私が子供の 頃、してほしかったことだ。いつも一緒にいてほしかった、学校の行事にきてほしかった。ご飯を作ってほしかったし、一緒に遊んでほしかった。失敗や成長を 笑ってほしくなかったし、頑張ったことをほめてほしかった。お金やものがほしかったのではなく、笑って抱きしめてほしかった。私は我が子をいたわりなが ら、同時に小さい頃の自分もいたわっているのかもしれない。

本書によると、自分が「理想の親」となって子供や後輩などを育てて行く、というのも愛着障害克服のひとつの手段となりうるとある。私自身が、こうい うのを克服して十分に癒されて行くことが、我が子そして後の世代にとって少しでもプラスになるなら。そしてその上で、自分自身の生き辛さも解消されて行く のなら、とてもうれしい。

一年前、わたしはこんなことを書いていた。

あれから一年。わたしは今も変わらずこう言う気持ちで子供に接しているだろうか。以前よりイライラしたり声をあげたりすることも増えた。けれどもやっぱり、わたしは我が子を慈しむと同時に我が子をとおしてみる小さかった頃の自分自身を癒す作業を続けているのだろう。少なくともこの一年で、随分癒されてきたように思う。

我が家の小さい人はいま魔の2歳児。毎日ものすごいエネルギーの爆発の連続で、それにつきあっているだけでもヘトヘトだけれど。それでもそういう日常から、わたしは随分幸せを貰っている。

改めて我が家の小さい人に感謝。

他のところにパラパラ書いてたのをこちらのブログにまとめようかな。

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