サードカルチャーキッズの心

Multiculturalism.jpg
Multiculturalism” by Monisha.pushparajOwn work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.

サードカルチャーキッズ(TCK)と呼ばれる人たちがいる。

サードカルチャーキッズとは、両親どちらとも違う文化圏で、成長のクリティカルな時期を過ごす子どもたちのことだ。あるいはそんな子どもだった、今では大人の人たちも。

我が子の両親は二人とも日本人でありながら、彼女は南米で生まれ、今は東南アジアに暮らしている。我が子もサードカルチャーキッドだ。

モノカルチャーの人に比べて、多くのことを見聞き体験でき、2つ、あるいはそれ以上の言語を操り、様々な文化になじみやすい。いいところを並べるとこうなるが、そこには大きな問題もある。

一番深刻な、心の問題。

TCKたちは、アイデンティティの確立に苦労する。自分は一体何者なのか、一体どこに属しているのか、それがわからないまま成長するケースが多い。これは、モノカルチャーで育った人でも思春期になれば自問するようなことかもしれないが、そのときに、TCKはおそらくもっと混乱し、孤独を感じるのだろう。

ノマドな親向けのサイトExpat Childに「TCK Problems」という記事があった。ノマドな母親が、思春期の娘が自傷している、という内容の記事だ。

両親は外国で仕事をしている。
この家族は娘が生まれてから5つの国に住んできた。
娘14歳は現在両親の自国のボーディングスクール(全寮制の学校)に18か月ほど通っている。
娘には友達もいるし、学校も好きで、成績も良い。
娘には自傷癖がある。
ボーディングスクールに入る前から自傷行為はあったので学校が原因ではない。

彼女がなぜ自分を傷つけるのか、そのもう1つの理由は、彼女自身がどこが彼女にとっての「Home」なのかわからないこと、そしてどこにもフィットする場所がないこと。これはTCKにとっての一般的な問題のひとつであることは知っているけれど、でも、みんなどうしているの? 彼女はわずかな望みにもすがって必死に自分自身をどこかにフィットさせようともがくけれど、同時に「異質」であることに慣れきっている。彼女は自分が誰で、どんな風になりたいのか混乱している。片方ではユニークでありたいのに、同時にもう片方ではみんなと同じくありたいと思っている。

この「同じくありたいと同時に、違っていたい」というのは、思春期なら誰でも持つ気持ちなのかもしれない。でも、TCKのその願いは、モノカルチャーにとってのそれとずいぶん違うのだろう。

モノカルチャーの集団の中にいる「ちょっと変わった人」は、周りから変わっている変わっている、と言われるが、結局は他者と同じ文化圏に暮らしているという揺るぎがたいバックグラウンドがある。みなと同じであることが辛すぎる、違っていたいと願う場合は、最終的にはそこを飛び出して他文化圏にいくことだってできる。もともとフィットしている「HOME」があって、そこから飛び出した「(そこにいる人から見ると)変な人」ということになる。

ところがTCK達は、基本「違っている」のだ。同じになりたいなりたいと思っても絶対になることはできない。そもそも、どこにも彼女達のフィットできる場所はない。それでも、それだからこそ、同じくなりたい、どこかにホームを持ちたいと言う願いは、痛切なまでのものとなる。

思春期の心の痛みというのは、決して馬鹿にできない。大人になればTCK達も自分なりの居場所を見つけて落ち着いたり、ノマドでいることを受け入れたりしてなんとか生きていくのだろう。けれども、それを「大人になればなんとかなる、むしろプラス」という言い方をするのはとても危うい。この記事を書いた人も書いていた。「そもそも、本当に彼女が大人になる日が来るの?」つまり、このままでは彼女は大人になって居場所を見つける前に、自分を殺してしまうかもしれない。

私自身、今でも覚えている。思春期はとても辛かった。心のよりどころがなかった。私にとって家族は心のよりどころじゃなかった。思春期の辛さ、苦しみを癒せる場所がなかった。それを必死に探していたのを覚えている。田舎で生まれ育ったのだから、もちろんその場所に対する愛着はあった。だけれど、家そのものは空っぽだった。友人、知人などに可愛がってもらって、そういう場所に自分の居場所を見つけようとした。でも、それって結局他人の家族に混ぜてもらうお客さん。周りのたくさんの人にとてもお世話になったけれど、それだけでは私の心は癒えなかった。

TCKは、こういった心の苦しみを、国、文化と言うスケールで味わうことになる可能性もあるのだ。

私自身、自分のHOMEがどこかわからない。日本へ行っても、HOMEがない。こんなおばさんになっても、HOMEを持たないことは苦しい。思春期ならなおさらである。

HOMEというのは具体的な場所というより、心のよりどころのことだと思う。TCKの場合、それだけではなく、文化というものものしかかってくることになるのだろうけれど、最後の最後に心のよりどころとできる人、場所、があるかどうかが大きいのだとおもう。

あと10年もしたら我が子は思春期に突入する。そのときに、彼女がTCKとして生き残ることができるように、心のよりどころでありたい。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中