尊敬する人物

尊敬する人物は誰か、と問われたら、娘、と答える。

私は今までいろいろとひん曲がってきてしまったけれど、彼女のまっすぐさに、心の底から敬服する。あんなふうに生きたい。そして、彼女がこれからも、あんなふうに生きていってくれることを、私のようにひん曲がってしまわないことを、心から望む。

彼女にとっての幸せとは、私が笑顔でいること、そしてそんな私とくっついていることなのだそうだ。幸せ、という言葉の意味はまだわかっていないだろうし、彼女の口から「幸せ」という単語が出てくることはまだない。でも、言葉をずいぶん話すようになって、心の中をきちんと言葉で伝えてくれる。

「ままちゃんわらっててほしいの」
「ままちゃんとくっついていたいの」「ままちゃんといっしょにいるの」

私がむすっとしていると、彼女は「こうやって笑うんだよ」と笑顔を作って、いひーん! と笑ってみせてくれる。わかった? こうやってわらうんだよ? いひーん! 

彼女はわたしのようにむすっとしたりしない。わたしのように突然怒ったりしない。突然怒りだしたわたしに「怒らないでちゃんとしゃべってください」というだけの冷静さがある。わたしが怒っていなくなったりしたときに、おいていかれて心のやり場に困ると、なにか単純作業をして心を落ち着ける術を知っている。

わたしが笑っているとそれだけで彼女はとても嬉しそうだ。わらっていてほしいの、とまっすぐに伝えてくる。

すてきな人。そういうふうに私も生きたい。

私が困っていたり、悲しんでいたりすると、そっと触って、大丈夫だよ、と言ってくれる。なんなのこの3歳児。

私があまりにも怒ってぎゃーぎゃー喚いていると、にやっと笑って「かわいいじゃん」と言う。女たらしのイタリア人か。

そんな彼女を、心の底から尊敬する。

愛する人に愛していることをまっすぐに伝えられること。してほしくないことは「止めてください」と言えること。人が悲しんでいるときにそっとそばにいてあげられること。自分自身で自分の心を落ち着かせることができること、或は何があれば落ち着くのかわかっていてそれを求められること。自分自身の悲しみや痛みを無視しないで、自分は悲しいのだ、寂しいのだと言えること。

このちいさい人みたいに生きたい、そうおもう。

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