黒バス事件被告人の最終意見陳述と愛着の問題

ひょんなことから、「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人の『最終意見陳述』を読んだ。

「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開

まず驚いたのは、ワーブアで社会の底辺にいたという渡邊被告の文章力の高さだ。非常に明晰で、ポイントを抑え、なおかつわかりやすい卑近な例を挙げて説明するなど、この人、頭がいいに違いない。

彼なりの語彙で書かれている文章だが、根底にあるのは『愛着』の問題だ。彼は、逮捕後自分自身についてもよくわかっていなかったのが、差し入れられた一冊の本によって、すっきりと理解し、最終意見陳述として非常に明晰な文章でまとめあげた。

なにか生き辛さを抱えている人、子どもを育てはじめてうまく行かないように感じている人、その原因が分からない人などにぜひ読んでもらいたい。新書一冊読むよりずっと短いが、ポイントは抑えられているので、子ども時代の心の傷がその人の人生にどう影響するのか、見えてくると思う。

全体はずいぶん長い文章だが、はじめのほうに触れられている、愛着、安心に関する部分が興味深いので、その部分を引用しながら読んでみたい。

さて自分は一体いつどこで何をどう錯覚してしまっていたのか?見当もつかず途方に暮れていると、1冊の本が差し入れられました。その本は子供時代に虐待を経験した大人が発症する「被虐うつ」という特殊な症例のうつ病の治療に取り組む精神科の著書でした。

自分はこの本を読んで、小学校に入学していじめられて自殺を考えてからの約30年間に、自分がどのような人生を 送ってしまったのかを全て理解できました。自分が事件を起こしてしまった本当の動機も把握できました。ついでに申し上げれば、本人の著書を読んでもちっと も理解できなかった2008年の秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大被告の動機も理解できてしまいました。

引用元:「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開

この文章を読んだ時、わたしは渡邊被告がその本を読んで今の自分のあり方に多いに納得した気持ちがよくわかってしまった。私にとってその本とは『愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)』という本だった。この本を読んで、自分の感じてきた生きづらさの原因が、すっと理解できてしまったのだ。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)
岡田 尊司
光文社 (2011-09-16)
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実際に渡邊被告が参考にした本のタイトルについて別の記事『2014年7月18日「黒子のバスケ」脅迫犯からのネット向け声明文』に書かれていたのでアマゾンへのリンクとともに引用しておく。

〈参考図書一覧〉

加藤智大「解」批評社 2012

佐藤優「国家の罠」(文庫版)新潮社 2007

杉山登志郎「子ども虐待という第四の発達障害」 学研教育出版 2007

高橋和巳「消えたい」筑摩書房 2014

西澤哲「子ども虐待」講談社 2010

三浦展「下流社会」光文社 2005

安田浩一「ネットと愛国」講談社 2012

山田冒弘「希望格差社会」(文庫版)筑摩書房 2007

山本譲司「累犯障害者」新潮社 2006

2014年7月17日 威力業務妨害事件被告人 渡邊博史

引用元:2014年7月18日「黒子のバスケ」脅迫犯からのネット向け声明文

本を読んで認識を新たにした渡邊被告はこう言う。

認識を新たに自分の人生を改めて振り返ってみて、自分の事件とは何だったのかを改めて考え直しました。そして得た結論は、「『浮遊霊』だった自分が『生霊』と化して、この世に仇をなした」

です。これが事件を自分なりに端的に表現した言葉です。さらに動機は、「『黒子のバスケ』の作者氏によって、自分の存在を維持するための設定を壊されたから」です。自分が申し上げたことを理解できる人は誰もいないと思います。自分がこれから説明をしましても大半の人は、「喪服が心神耗弱による減刑を狙って『生霊』とかほざき出したwwww」「「悪魔に体を乗っ取られた」とか「ドラえもんが何とかしてくれると思った」とかの方が言い訳として面白いよ」というような感想しか抱かないと思います。そのような感想を抱いた人は、それがご自身が真っ当な人生を歩んで来た証拠ですので喜んで下さい。これから自分が申し上げることが少しでも分かってしまった人は、自分と同じような生きづらさを抱えている可能性が高いです。ですから自分はこの最終意見陳述について「で、それが何?」という反応が大多数を占めることを心から望んでいます。
引用元:「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開

わたしはこの先の文章を読んで、彼のいわんとすることがすっと理解できてしまった。明晰でポイント抑えた文章で、素晴らしくわかりやすいのだが、実際理解できない人には全くできないものらしい。

説明を始める前に自分が用いる8つの言葉を列挙しておきます。まず「社会的存在」です。これと対になる言葉は「生ける屍」です。「社会的存在」という言葉は先ほど申し上げました「被虐うつ」に取り組む精神科医の著者からの引用です。

次に「努力教信者」です。対になる言葉は「埒外の民」です。この2つの言葉は自分のオリジナルです。「努力教信者」の枠内での強者が「勝ち組」で弱者が負け組です。

さらに「キズナマン」です。対になる言葉は「浮遊霊」です。「浮遊霊」が悪性化した存在が「生霊」です。良性腫瘍が癌化するのに似ています。そして「浮遊霊」も「生霊」も「無敵の人」です。

今回の事件のような普通の人には動機がさっぱり理解できない事件を起こしてしまうかどうかはまず「キズナマン」 になれるかどうかがポイントです。乳幼児期や学童期に「社会的存在」になれるなり、学童期や思春期に「努力教信者」になれれば「浮遊霊」になってしまうこ とはありません。もし「浮遊霊」になってしまったとしても「生霊」になってしまうことはまずありません。

もちろん自分は「生ける屍」であり「埒外の民」でした。そして気がつくと「浮遊霊」になっており、事件直前には「生霊」と化していました。
引用元:「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開

まず言葉を定義し、それに対した異義語を用意し、それから文章を進めていく、まるでプログラマがコードを書くようだ。

人間はどうやって「社会的存在」になるのでしょうか?端的に申し上げますと、物心がついた時に「安心」しているかどうか で全てが決まります。この「安心」は昨今にメディア上で濫用されている「安心」という言葉が指すそれとは次元が違うものです。自分がこれから申し上げよう としているのは「人間が生きる力の源」とでも表現すべきものです

乳幼児期に両親もしくはそれに相当する養育者に適切に世話をされれば、子供は「安心」を持つことができます。例えば子供 が転んで泣いたとします。母親はすぐに子供に駆け寄って「痛いの痛いの飛んで行けーっ!」と言って子供を慰めながら、すりむいた膝の手当をしてあげます。 すると子供はその不快感が「痛い」と表現するものだと理解できます。これが「感情の共有」です。子供は「痛い」という言葉の意味を理解できて初めて母親か ら「転んだら痛いから走らないようにしなさい」と注意された意味が理解できます。そして「注意を守ろう」と考えるようになります。これが「規範の共有」で す。さらに注意を守れば実際に転びません。「痛い」という不快感を回避できます。これで規範に従った対価に「安心」を得ることができます。さらに「痛い」 という不快感を母親が取り除いてくれたことにより、子供は被保護感を持ち「安心」をさらに得ることができます。この「感情を共有しているから規範を共有で き、規範を共有でき、規範に従った対価として『安心』を得る」というリサイクルの積み重ねがしつけです。このしつけを経て、子供の心の中に「社会的存在」 となる基礎ができ上がります。

– 中略 –

このプロセスが上手く行かなかった人間が「生ける屍」です。これも転んだ子供でたとえます。子供が泣いていても母親は知 らん顔をしていたとします。すると子供はその不快感が「痛い」と表現するものだと理解できず「痛い」という言葉の意味の理解が曖昧になり「感情の共有」が できません。さらに母親から「転ぶから走るな!」と怒鳴られて叩かれても、その意味を理解できません。母親に怒鳴られたり叩かれるのが嫌だから守るので あって、内容を理解して守っているのではありません。さらに「痛い」という不快感を取り除いてくれなかったことにより、子供は被保護感と「安心」を得るこ とができません。母親の言葉も信用できなくなります。感情と規範と安心がつながらずバラバラです。そのせいで自分が生きている実感をあまり持てなくなりま す。

引用元:「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開

まさにこれは愛着だ。子どもは主たる養育者との間に健全な愛着を形成し、その人をホームベースとして生きていく、それが「安心」だ。これがきちんと形成されないと、その後の人生でも生き辛さを抱えやすい。

わたし自身、生き辛さを感じながら生きてきた。渡邊被告のように犯罪を犯したことはないし、実際自殺未遂もしたことはないし、たいしたことないだろう、と言われてしまうかもしれないが、やはり、生き辛いと感じていた。それが幼い頃の愛着の問題だということを理解して、自分自身を見る目ががらっと変わった。

そして、それについて知って以来、子育てに対する心がけもずいぶん変わった。今の自分の行動、態度は、子どもの愛着に傷をつけないだろうか、と考えるようになった。そしてPMS期の自分は最悪だと恐ろしくなり対策を取り出した。

渡邊被告のこの文章を読んでも理解できない人は、おそらく渡邊被告の言うように、安定した愛着をもって安心して育ってきた幸せな人なのかもしれない。でも、わかってしまった人は、関連書籍をぜひ読んでみることをおすすめする。それによって、自分自身や子ども、そして他社を見る目がずいぶんと変わる。特に子育てにおいては、不安定な愛着を次の世代に引き継がないように努力することができる(実際に引き継がずにいられるかどうかはわからない。わたし自身努力しているが、結果が分かるのはもっとずっとあとになってからだろう)。

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