愛情を伝える技術とレセプター

「それでもあなたの親はあなたを愛していた」
「それはあなたを愛しているからそうしたの」
「おとなになればわかるよ」

毒親の呪縛に悩む多くの人が、親自身や周囲の人から散々こう言うことを言われてきたと思う。でもそれを言われたって、心の傷は埋まらないし、トラウマが消えて明るい人生を歩めるようになるわけでもない。

愛しているから何をしても許されるのなら、ストーカーはみんな正当化されてしまう。愛しているから過干渉も許される? 本当は愛しているから、愛情を表現しないで放置していてもいい? そんなわけない。

愛情って、そのときに伝わらないと意味がない、そう思う。

わたしは子どもに愛情を伝えるように努力をしている。ぎゅっと抱きしめるとか、言葉をかけるとか、そういう当たり前のことだけだけれど。そう思って伝える努力をしているつもりだけれど,いつもちゃんと伝わっているか不安はある。

私自身もしょっちゅう、子どもと過ごす時間が面倒になり、ひとりであそんでくれないかなぁ、とか、ちょっと忙しいから待ってて、とかをやっている。或はiPhoneをいじっていて子どものことを見ないこともある。これがいつもこういう状態になって、「でも私はあなたを愛している」といったって伝わらない(でもやってるけど)。

言われた側は「は? なにいってんの?」ってことになる。

愛情を伝える技術って大切だよなーって思う。

我が子には度々「I love you」と伝えているが(日本語で言うとなんか違う感じがするから英語で言ってしまう)、彼女はその度に「毎日言わなくってもいいよ、わかってるから」と返す。なんでわかるのかしら、もし全然言わなくなったら、あれ? 愛されてるのかな? って思わない? ときくと「わかってるから、言わなくても大丈夫」と言う。言われすぎるとウザくなってしまうというのもあるだろうなぁ、と思いつつ、やっぱり言ってしまう。こういう『伝わってほしい』と言う気持ちが過剰になると過干渉な毒親になったりするんだろうか、気をつけないと。

愛情を伝える側の伝える技術も大切だけれど、愛情を受け取る技術というか感性も重要だと思う。

最近、もしかしてわたしの愛情レセプターは壊れているかもしれない、と思うようになった。人に愛されていることを感じられない時がある。言葉で愛していると言われれば言われるほど、逃げ出したくなる。今までの人生それを繰り返してきた。私にとって私を愛しているとという存在(親)は、嫌悪し逃げ出す対象であったことが影響しているんじゃないか、と思っている。

これに気づかせてくれたのは友達。友達の旦那さんが「彼女はは何から逃げているの?」とわたしについてのほほーんと質問したらしい。友達は「は? なにバカなこといってんの?」と返したらしいが,それがものすごい真実をついてるのかもしれない,と私自身感じている。

これはクセだ。生き方のクセ。

だから、私が逃げ出したくなるのは相手の問題ではなく,私のレセプターと生き方のクセのせいなんじゃないかって気づいた。それに、その愛情レセプターの感度が鈍っているときと、敏感になっているときとあるような気がする。鬱ぽいときは完全に鈍っている。活き活きしていると誰も彼も自分を愛してくれているように感じる(は、ちょっと極端か)。

つまりきっと愛情レセプターは自己肯定感と関係している。

子どもを持つ親という立場になってまでこんなことをうじうじ考えているのが情けないけれど、親という存在になったからこそ直視して乗り越えていかなければいけないことなんだろうな、とも感じている。

I love you。

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