出会いとわかれと優しいむすめ

またひとり、友人親子がこの街を去る。外国人の多いコミュニティに暮らしていると日常茶飯事の出会いと別れ。だんだんと別れにたして鈍感と言うかドライになっている自分を感じることもあるけれど、でもやっぱり寂しい。

今日この街を去る友人と最期のランチをした。彼女も子育てに悩み、親との関係に悩み、ガイジンとしての気楽さや不安を共有してきた。ランチをしながらいつものようにとりとめもないおしゃべりをし、彼女をもう空っぽになった彼女の家までおくり、ハグをして別れた。

泣かなかった。彼女は泣きそうだった。私は堪えた。

でも、車に戻ったときに「やっぱりさみしいよ」とぼそっとつぶやくと、娘がそっと腕を撫でて腕にちゅっとしてくれた。わたしがいるよ、と微笑んでくれる。

彼女は私が悲しいとか寂しいとか言う感情に包まれると、とてもとてもやさしく寄り添ってくれる。もう死んでしまったけれど、以前一緒に暮らしていた猫にそっくりだ。

たった3歳なのに、3歳だからこそ、母親である私の精神状態にすごく敏感で、私が笑って幸せで穏やかで居ることをいつも願っているし、実際にそうすべくおどけてみたり、慰めてみたりする。超イケメンだ。こんな男の人が居たら惚れる。

「会いに行けばいいよ」と娘は言う。そうだね、会いたければ会いにいけばいいんだ。

娘は私を救うためにこの世にきたんじゃないかと思うことが多すぎる。そうや感じることが彼女に何らかの期待をかけて負担になっていたりするんじゃないかと言う不安もあるけれど、でもやっぱり、そう感じる。

こう書くと天使みたいだけど、普段はおてんばではしゃぎまわって、私がダメと言いそうなことばかりワザとする、私の注意を引きたくて仕方がないちいさい人です。

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