子供のことを想う

私は自分の子供が生きづらさを抱えて生きていくことになることをできるだけ避けたいと思っている。自分自身がとても生きづらかったから。思春期も、それに続く20代も、いつも生きづらかった。

その理由が今ではなんとなくわかってきた。多分、愛着の問題だ。

今まで5年間は、娘に安定した愛着を持って欲しいと思ってやってきた。でも、それをやっている私自身が不安定な愛着の持ち主だ。幼い頃に父親と死別し、残った母親とはうまくいかなかった。安全基地を持たないまま大人になって、安全基地を持たないまま子育てをしている。

まず第一に、娘が成人するまで、できれば24、5までは絶対に死んではいけない、と思っている。死別はもう取り返しのつかないことだからだ。

でも、死はいつでもやってくる。そのために、もし私なしで育つことになってもいいように用意をしておきたいと、心の底から思っている。死ぬことについて準備をするというと、周りは「そう簡単に死なないから大丈夫」とか「大丈夫? なんかあったの?」なんてことをいう。別に私は死にたいわけではない。こんなことを考えるのは私のためではなくて、もしもことが起こったときに娘に対する影響を最小限にするための保険みたいなものだ。

たとえば、カウンセラー的な人と事前に契約をしておきたいと思う。そういうサービスってあるだろうか。親に死なれた子供には専門家のヘルプが必要だ。私にはそれがなかった。そういうひとを手配しようとしてくれる大人もいなかった。田舎のことだからスクールカウンセラーもいなかった。

それから、もう一人の親との愛着もきちんと形成しておきたいと思う。でないと、仮に私が死んだ後、残った人たち同士でうまくやっていけない。そうなった場合一人取り残された娘は死ぬほど辛い思いをして生きていくことになる。

娘の心の中に、いろんな種を植えておきたいと思う。娘がいつも心の支えとできるようなもの。

娘が後始末をする必要がないようにシンプルに暮らしたいとも思う。

安全基地を持たないからかいつも移動をするわたしについて歩く娘の心は、おそらく一つの土地でずっと暮らしている子供より、ある面では脆い。できるならば、どこかに落ち着いて、腰を据えたいといつも思っているが、今の所私自身がそれを見つけられない。

ときどき怖い夢を見たと言っておきてきて私にしがみつく娘を見ると、胸がキューッとなる。怖い夢は、移動した時にときどき見るらしい。ひとりぼっちの夢。私たちのHOMEをみつけたい。

いつも、自分は毒親になっていないだろうか、と不安になる。娘の愛着に傷をつけるようなことをしていないだろうか、と。そして、それを気にするあまり甘やかし過ぎていないだろうか。生きる力をつけてやれているだろうか。自分の感情に気づいて、それと向き合う術を見せているだろうか。そんなことばかり考えている。

気持ちのメモ。

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