モンテッソーリ3年半、後悔していない

我が子を2歳ちょっと前からモンテッソーリスクールに入れている。私がモンテッソーリが好きだから、というだけの理由で。

モンテってどうなの? ってよく聞かれるのだけど、いいとか悪いとかは比べられない、他を知らないし。でも私はすごく好きだし、今までモンテに入れておいたことは後悔していない。

なんでそんなにモンテが好きなのか、というのを説明しようとすると結構支離滅裂になってうまく伝わらないことが多いので、ちょっと書いておこうと思う。

モンテを気に入っている理由

自発性と自律性を重視する

モンテでは、自分が何をやりたいのかを知り、やると決めて、実際に行動に移し、納得いくまで繰り返し、自分で区切りをつけて終わらせる、ということを毎日繰り返す。先生が「さあみなさんこれやりましょう!」「さーおしまいです!」ではない。もちろん自分で選べないで長いことぶらぶらしている場合には、先生が何かを選ぶように促したりはするし、手をつけていない分野のお仕事があれば、それもうまい具合に勧めたりはする。

自分で選んで、決めて、行動に移す(ここ重要)こと。そして、どこまでやったら終わりかを自分で判断し終わらせられること(ここも重要)。これって人間としてとても大切なスキルだと思う。これがうまくできない大人だってたくさんいるし、私自身、毎日の小さな決断の繰り返しに疲れはてて「誰か全部決めてくれ」って思ってしまうこともある。

昔デザイン事務所で働いていたころ、社長(本業画家)が、「どこで筆を置くかが重要だ」って言っていた。ほんとそう。何事も、終わりを見極めて、自分で終わらせるって、すごく難しい。なにかを終わりにするのって、始めるより難しい。

環境が子供をガイドしている

ユーザビリティの大御所でドナルド・ノーマンという人がいるのだけれど、そのひとが「アフォーダンス」ということを言っている。簡単に言うと、モノはその形によって人の行動を引き出している、ということ。例えば、引っ張って開けるドアのノブは「ここをひっぱってね」という形をしている(たまに押すドアに引き手がついていると人は戸惑う)。

モンテッソーリは教具も、教室にいる先生も、そういう感じのガイド役だ。先生が教える、というよりも、子供達が目的を達するためにガイドしている、という感じ。先生は先生ではなくて、環境の一部、という扱い。

私が、なぜこれが好きなのかというと、子供は「自分で発見する」ことができるという点だ。こうこうこうだからこうだよ、って教えられるのではなくて、こどもはアクティビティを通して、自分でいろんなことを発見する。先生は、発見するための手順をガイドしてやったりするだけだ。

個人を尊重するいろんな個人の集まった社会

モンテッソーリは6歳までは個人でやるアクティビティが多い。5、6歳くらいになると、2、3人でやるゲーム的なものもあるけれど、基本は個人で仕事をする。全員で何かをするのは1日に15分程度のグループタイムだけで、あとは基本一人で黙々と作業をする。

こどもたちは、自分のやりたいことを思う存分やることができる。誰かが選んだアクティビティを、誰かが決めたタイムテーブルでやるのではない。自発性と自律性を尊重する、ということは、その人個人を尊重することだ。つまり、子供は自分で自分の責任を取らなくてはいけない。誰も代わりに決めてくれない、自分で決めなくてはいけない。

これはとてもとても大切なスキルだと思う。誰かに決めてもらうのに慣れてしまったら、自分の人生に責任を持たなくなる。

そして、自分のことに責任を持てる個人が集まっている社会では、他者を当たり前に尊重する。個人の主張がぶつかり合うのではない。モンテのクラスでは、教具は基本的にワンセットしかない。つまり、同じお仕事をやりたい子が複数いたら、順番を待つとか、ゆずり合うとかして融通しなくてはいけない。同じ教具を用意して与えてやり、コンフリクトを解消する、というのではない。もし、眠たければ布団を敷いて眠っていてもいい。でも、他の人の邪魔にならない場所で、だ。それに、モンテでは制服はなことが多いがドレスコードがある。周りの人の気を散らすような格好で学校へ行ってはいけない。

また、モンテは3歳から6歳まで一つのクラスにいる。学校にもよるだろうけれど、我が子の通う学校では、発達障害があったりする子も普通に同じクラスにいる。みんな違っているのが当たり前で、大きな子は小さい子に教えてやり、小さい子は上の子を真似する。中には周りと馴染めない自閉症の子がいたりする。でもその子はそういう子だ、と受け入れて、みんなと同じであれと強制することもない。

モンテは個人を尊重するし、基本的に何をしてもいいのだけれど、フリープレイの放任主義型教育とはまったく違う。ルールでガチガチに固めているわけではないが、子供達は社会の一員として、他者を尊重した行動をとることが求められる。モンテは社会性が身につかないとか協調性がないとか言われるが、違う。どっちもちゃんとある。ただ、みんなと同じ行動をみんなと同じだという理由だけでとることにまったく慣れていないだけだ。

所作がとても丁寧できちんとしている

これは躾のレベルの話で、本来は学校に頼るべきものではないのかもしれないけれど、モンテッソーリのお仕事をする所作ってとても丁寧で美しい。もののつまみ方とか、置き方とか、手の動かし方とか、そういうのがとても美しくて丁寧だ。私はすごく大雑把な人なので、娘の丁寧な所作を見て反省させられることしきりである。とはいえ、娘もかなり大雑把に乱暴にやることもあり、やはり見られているんだなあ、と反省する。

自分の身の回りのことを練習する

これもまあ本来は躾のレベルなのかもしれないけれど、モンテッソーリは「日常生活の練習」というアクティビティが低年齢のうちはかなりの部分を占める。掃除、洗濯、料理(切るとか洗うとかちぎるとか)、それからお花を活けたり、植物の世話をしたり、ボタンの掛け方、リボンの結び方、雑巾の絞り方、などなど、そういう練習をひたすらやる。

家にいると娘は甘えて「ままやってぇー」ということも多いけれど、本当はほとんどだいたい自分でできる。学校のおかげだ。

学力はどうなの?

私がモンテッソーリを気にっている理由を並べてみて気づいたのだけれど、私はアカデミックな部分は今の年齢ではそれほど気にしていないらしい。自分で自分の世話ができ、自分で決断し、行動に移し、自分の人生に責任を持てるようになってほしい、と思っているんだろうな、多分。

モンテはアカデミックでは劣るかというと、調査結果からすると決して劣ってはいないらしい。ただ、別にモンテだから成績が良い、というわけでもない(他の教育方法と同レベルってこと)。

今娘は5歳だが、学校で何をやっているのか聞いてみると、算数では4桁の掛け算とか分数とかやっている。でも、モンテッソーリなので紙の上で数字でやるのではなく、教具を使って数や量を感じている、というやつ。

文字は筆記体をだいたい全部覚えたところで、普通の文字はちょっとした単語なら読め、短い本なら読める(小さい子のクラスに行って読んであげたらしい)。同い年の普通の学校へ行っている子に比べると、まだ全然読めないし、ちゃんとした単語もかけない。モンテでは間違いを直してやらないので(子供が自分で発見する機会を奪わないため)、子供が自分で気付くまでは間違ったスペルとか鏡文字でもそのままやらせている、というのもある。

そんなわけで、たぶん一般的な学力テスト的なものでは、この年齢ではモンテの方が劣ると思う。私は今の所気にしていない。

まとめ

モンテは、生き方の基礎訓練、という感じなんではないかと思う。低年齢のうちには、モータースキルや様々な身体感覚(聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚を鍛える教具もある)を文字通り鍛え、それから自分のことは自分でできるようになり、そして、自分というものをしっかり持った上で他者と関わっていく、ということを毎日練習している。

毎日、私が仕事から帰ってくると、娘は自分の机に向かって何か「お仕事」をしている。ぬりえだったり、なんかのワークブックだったり、文字を書いていたり、様々だ。私は「勉強しなさい」と言ったことは今の所ない。まあ、5歳だし、というのもあるけれど、できれば今後もずっと言わないで過ごしたい。自発と自律。

娘をモンテに入れて3年半。後悔していない。私も行きたかった。

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