ちいさい人の心

自分に怒っている自分を受け止めること

積み木で遊んでいた娘が、自分で積み木を倒してドンガラガッシャーン。キィー! っとなった。

「わたし、じぶんにおこってるの!」

だそうだ。

その時は、そうかそうか、おこってるか、と思って流していたけれど、しばらくそれが引っかかっていて、数時間後に車に乗っている時に娘と話した。

私「さっき、積み木崩して、わたしじぶんにおこってるの! って言ってたでしょう。わたし、それ、すごいなあ、と思ったよ」
娘「どうして?」
私「自分で、自分が今どんな気持ちか、ってわかって、それを言葉で言うことができる、って言うのは、とても素晴らしいことだと思う」
娘「ふぅーん?」
私「気持ちは、どんな気持ちでも、そうかそこにいるのかって見てあげないと、そのうち暴れ出すからね。おこってる時に、おこってるんだね、そうかそうかって言ってあげられたら、娘ちゃんの心の中にいるプンプンしてるちっちゃい人がおちつくよ」
娘「ちゃんと見てあげなかったらどうなるの?」
私「そのうち大暴れして大変なことになるよ。心や体が壊れちゃうかもしれない。人だって、いつもいつも知らんぷりされて、誰にも見てもらえなかったら、辛くて悲しくて、いつか大暴れしちゃうかも」

まあ、こんな話をしながら車を走らせていた。

そうか、そんな歳になったかぁ、と感慨深い。

娘がまだ1歳半くらいの頃、友人宅に泊まったことがある。そこには5歳の男の子がいて、家中の興味がまだ赤ちゃんの我が娘に集中したことに、ものすごい嫉妬していた。

その5歳児が「僕、今ものすごい嫉妬してる!」ってプンプンしながら言っていたのを聞いて「すごい!」と感銘を受けたのを覚えている。5歳児が自分の感情を「嫉妬だ」って理解して、それを言語化できるってすごい! と。

うちの娘6歳。ちゃんと自分の気持ちを受け止めて、人に伝えることができている。私だって時々できないし、きっとこれができない大人っていっぱいいると思う。

感慨深い。

どんな感情も、持っていいんだって言うこと忘れないでもらいたい。私自身は、子供の頃、自分の感情とそれを押し殺そうとする理性みたいなのの間で板挟みになって辛かった。悲しんでいい、怒っていい、って、誰かに言ってもらえていたら、きっと違っただろうな、って思う。

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悲しい顔

今日、私の心は穏やかでなかった。でも、顔には出さないように頑張った。笑顔を見せて、元気に喋った。

でも、小さな人が「ママ、悲しい顔してる」。

と言いながらすごく心配そうな顔で私を見る。私の表情をじっと観察して、「ママ、おめめが悲しそうだよ、おはなも、ほっぺも。どうしたの、大丈夫?」と言って目を逸らさない。

「なんでもないけど、悲しそうだって心配してくれるあなたの優しさに涙が出そうだよ」ってごまかした。

私は作り笑顔が下手だ。子供に心配かけるなんて。

小さい人がいてくれることで、とても救われることがたくさん。でも、小さい人に頼ってはいけない。小さい人は、家では思う存分、小さい人として過ごして欲しいから。小さな大人じゃなくて。

でも、こんなに、人の気持ちに敏感で、心を配れる人に育ってくれて本当に嬉しい。

小さい人のこころ

親バカだけれど、我が子は(今の所は)とても、強い人だと思う。強いというのは、アグレッシブだとか力が強いとかいうわけではなくて、人としてしなやかで、強い。

6歳児について表現する言葉とは違うかもしれないけれど、この小さな人と暮らしていて、日々、尊敬している。

普段からとてもハッピーで幸せいっぱいの人なのだけれど、強いな、素晴らしいな、と思うのはそればかりじゃない。

困った時に人に助けを求められること。悲しいこと、辛いことがあった時に、どうしたら自分の心が落ち着くかを知っていて、行動に移せること。

これって、多分うちの小さな人に限らず、小さい人って基本的にそうなんだろうと思う。なんでも「ママー」っていうし、悲しいことがあったら「ママにくっつくと安心する」って知ってる。でもこれって、すごく重要なスキルだと思う。自分の感情を理解して受け止めて、それに対処する。大人だってできない人はいっぱいいる。

それから、もう一つ、素晴らしいなと思うのは、自分とは関係なく怒っているとか悲しんでいるとかストレス下にあって笑顔じゃなくてキリキリしている人が身近にいても、それに対して固まったり、怒ったりといったネガティブなリアクションを取らない。そばに座って、大丈夫だよ、ってポンポンしてあげられる優しさ、そして強さがある。

私は、身近にイライラしている人がいたりするともろに影響を受けて、こちらもなんだか嫌な雰囲気になってこちらも固まって無言になってしまったりする、その人がイライラしている理由が自分と全く関係がなくても。うちの小さい人はそれがない。

私が時々怒っている時に「これはママが勝手に怒っているのであって自分のせいじゃない」のと「自分が悪いことしたから怒られている」の区別はちゃんとついているらしい。自分のせいじゃない=ママがお腹減っているか、疲れているか、ホルモンバランスが崩れているからだ->労ってやろう、という行動につながる。自分が悪い場合は、まあ、押し黙ってふてくされることもあれば、素直に「はい、ごめんなさい」って言って直すこともある。

例えば洗濯機がうごかなくて、私が悪態をついたりすると、娘は必ず「そんなこと言ったら可哀想だよ。洗濯機さんいつも洗ってくれてありがとうって言うんだよ」って教えてくれる。

時々、6歳にしちゃ理解ができすぎて、大人びすぎているんじゃないかって思うこともある。6歳ならまだまだ駄々をこねたり、泣いたり喚いたりすることもある年齢だと思う。私は6歳くらいはとにかくいつも泣いていた気がする。今思えば、周りの大人に理解されない辛さを怒りや悲しみとして表現していたんだろうと思う。なんで理解してもらえなかったんだろう。うちの子見てるとすごいわかりやすいのに。

優しさって強さだな、って小さい人を見ていて思う。この、優しく、しなやかで、強いこの人の良いところを、壊さないようにしたいと思う。まだ6歳、脆い。心が深く傷つくことがあれば、きっと簡単に壊れてしまう。

さあ、どうしよう。親って、難しい。

5歳11ヶ月の記録

色々ありすぎて記録をしていないので忘れたくない。もう結構忘れてるけど最近のこと。

歯が抜けた

下の前歯が抜けた。日本を出る日くらいにグラグラし始めて、小さい人は大興奮。毎日毎日触って「いつぬけるとおもう?」「こんなにグラグラしてるよ」と。グラグラし始めて数日後に抜けた。ポロっと。でもどんな状況でぬけたんだっけ。ふつうに「あ、抜けた」と言っていたのは覚えているけれど。

日本だと下の歯が抜けたら屋根の上に投げるとかあったような気がするけれど、小さい人は「tooth fairyが来る」と思っているらしい。歯が抜けた日に枕の下に置いて寝ると、トゥースフェアリーがお金と交換してくれる、ってやつだ。

トズースフェアリーとしては、枕の下に入れられると起こさずにことを済ませられる気がしないので、封筒に入れて枕元に置くとか、ハンカチに包んで、とか色々提案したのだけれど、枕の下に入れるという。しかも小さい人枕が10個くらいある。これは困った。トゥースフェアリーの遣いのママちゃんは枕元にわかりやすく置く、という方向で頑張って説得。なんとか成功。

お小遣いをもらい始めた

トゥースフェアリーが歯と交換に日本円にして30円くらいくれた。それが最初のお小遣いで、その週から毎週60円位あげることにした。このお金は自分のお金なので、どんな使い方をしてもママちゃんは文句を言えない。普段食べさせてもらえないお菓子を買っても文句は言えない。

気遣い

ママちゃん、無理しないでね。気をつけて行ってきてね。なんて言葉をかけてくれる。

怖い夢

怖い夢が忘れられないらしい。怖い夢の中身はずっと話してくれなかったけれど、最近話してくれた。モンスターがママちゃんを連れて行っちゃう夢らしい。モンスターはどんだけ怖い顔してるのかと思って聞いてみると、普通の人間みたいに見えるんだそうだ。男も女も子供もいて、みんなでママちゃんを連れてどっか行っちゃう。

小さいひとは、私がいなくなることをすごくすごく恐れているのだと思う。

愛されてるって知っている

出張や、趣味などで小さい人を置いて出かけることが増えた。仕事も忙しいし、くっついている時間も減った。私としては、もしかしたら小さい人が「ママちゃんに愛されていないかも」って不安になっているんじゃないか、という不安があった。でも、聞いてみると、ママちゃんが自分のことを好きだ、っていうことはつゆほども疑っていないらしい。絶対に好きでいてくれる、って知っているのだそうだ。よかった。

一人で寝るようになった

歯が抜けた日から、ほとんど一人で寝るようになった。歯が抜けるほどお姉さんなんだからって。それから、朝の6時までは私の部屋に来てはいけない、と言うルールを設けた。とは言っても、怖い夢を見たとか、とっても寂しい気持ちだとか、そういう時は例外。

おかげで私も一人で寝られるので、少しはよく寝られるようになった。一緒に寝ると蹴っ飛ばされるし、殴られるし、ちゃんと眠れない。

プライバシーをちょっとづつ教えているがまだピンとこない

朝の6時まで私の部屋へ来てはいけない、もその一つ。私とあなたは別の人、それぞれプライバシーがあるんだよ、って言うことを話している。一人で落ち着いてオシッコもできなかった数年(私が)、私はいい加減疲れた。トイレやお風呂は一人で入りたい。カバンや財布を勝手に開けられたくない。

トイレやお風呂に入るときには、ちゃんとノックすること。人のカバンやおさいふ、引き出しを勝手に開けないこと。触りたいものがあるならちゃんと許可を得ること。言って聞かせているけれど、まだいまいちできていない。

その他色々

  • 大人っぽいことを言う
  • 独り言が英語
  • お絵かきやクラフトが一番好き
  • ママちゃんのお嫁さんになる、は変わらない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さい人は働き者

レバノンから帰って来た日は日曜日だった。4週間ぶりに会う娘は、とても成長していた。

私は長旅と時差でぐったりしていて、何にもしなかった。すると娘は自分から率先してテーブルをセットアップして、食事が終わるとお皿を洗い、テーブルを拭いて、テーブルセンターを敷いてまた綺麗にセットアップしてくれた。

それから「ままのバスルームはメッシーでアグリーなんだから」とルー大柴みたいな話し方で私のバスルームを片付けてくれる。

私が何かやろうとすると「いいよ、ママはぐったりしてて」とやらせてくれない。

自分の着替えはもちろん一人でやり、以前なら「まま、はさみとってー」と言っていたような場面でも、何も言わずに自分の部屋にハサミを取りに行った。

「ままがぐったりしているときは私がやるの」と娘はいう。実際、私が体調を崩して寝込んだりすると、娘はとても働き者になるが、今回はいつも以上にとても頼りになった。

親バカだけれど、我が子はとても素敵な人間だと思う。

おおきな木

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「おおきな木」という本あります。これはどちらかというと大人向けの絵本じゃないかな、と思うのですが、娘の本棚に入れてあります。ちなみに私が持っているのはスペイン語版です。

泣けます、この本。感動する、いい話だっていうんじゃないんです、悲しいんです。泣けてきます。愛情のすれ違いっぷりに辛くなります。

先日、娘がこの本を読んで、と言って持ってきました。

うちの子のスペイン語力は、Manzanaってなに? Esconditeってなに? ってきくと単語の意味はわかっていたりするのですが、この本を読んでもらってちゃんと理解できるレベルではありません。そんなわけで「にほんごでよんで」となり、大雑把直訳日本語読み聞かせをしました。

私の肩にもたれて静かにしているので、ねちゃったかな? と思って横をみると、娘のほおに一筋の涙が。

この本を読んだのは初めてではなくて、ずいぶん前に何度か読んで私が泣きそうになっているのは知っていましたが、この話を理解して涙を流す、というのが5歳にもおこることなのか、と驚きました。どういう理解をしてどうして泣いていたのか、本人は説明できないようでした。

愛ってなんでしょうね。

ヨガマットを隠す娘

毎週木曜日はヨガの日となった。仕事の後にヨガに行く、ということはつまり、晩御飯と寝かしつけはナニーちゃんに外注することになる。

木曜日の朝、ウキウキしながらヨガマットを準備していると、娘がどこからかやってきてヨガマットを隠す。必ず隠す。

「なんでかくしちゃうのようー。」

というと娘は笑いながらこう答えた。

「いってほしくないからー」

はっとした。うん、すごく、わかる、覚えてるその気持ち。

子供の頃、父親は日曜日は毎週ゴルフだった。朝早くから行って夕方遅く帰ってくる。学校がお休みで一番一緒に居られる日なのに、ゴルフに行ってしまう父。

「ゴルフきらい」

って言っていたのを覚えてる。だからといってゴルフクラブを隠したりしたことはないけれど、でも、たぶん木曜の朝の娘の気持ちとおんなじだったんだ。

「さみしいようー、いってほしくないようー」

って泣く私に優しく微笑みかけながら「さびしいーだよ」って言直す父の顔を覚えている。日曜日のゴルフや、出張で出かける時など、いつも父親が出かける準備をする側で泣いていた。

「さみしいようー、いってほしくないよぅー、いかないでー」

娘よ、母も同じ気持ちをたくさん味わってきたよ。すごくさみしいよね。四六時中、できるだけいつでもくっついていたいのに、お仕事なら我慢するけど、ゴルフなんてすっぽかして自分と一緒に居てほしいって、母も小さい頃に思っていたよ。すごくすごくよくわかる、その気持ち。

でも、ヨガは行くよ。ごめんね娘。

 

娘の、悲しんで(怒りとして表現して)いる人への対応にはっとした

以前娘がプレゼントしてくれたネックレスが絡まった。細いシルバーの糸をよりあったものに淡水パールを通したものが数本まとまっているもので、すぐ絡まる。

こんなのだけど、チェーンじゃなくて糸(しかも細い糸)なので絡まりやすい。多分ハンドメイドのもの。

解こうとしてもなかなかほどけない。どんどんからまっていく。

娘が選んでくれたのに、大事なものなのに、どうしてこうなっちゃったの。

涙が出そうになりながら必死に解こうとしても解けない。だんだんイライラしてきて、もうぐちゃぐちゃっ、キー! ブッチン、バラバラバラー! ってやってしまいたくなる。

「なんでこうなってるの!」
「解けないよー! もうやだよー!」
「なんでー、なんでー! なんでこんなぐちゃぐちゃなのー!」
「だいじなものなのになんでぐちゃぐちゃなの!」
「だれがやったのよう! なんでなのよう!」
「せっかく娘がくれたのに!!!」

なんて悲しみを通り越して怒りで叫びながらほどこうとしていたとき、むすめがそっと私のそばに座って、私の背中や肩に手を置いていった。

「だいじょうぶだよ、ゆっくりじかんをかけてやれば、いつかきっとほどけるから」
「わたし、おこってないよ。わかってるよ、ママがわるいんじゃないよ」
「いまできないなら、あとでまたやったらいいよ」
「だいじょうだからね」
「悲しいよね」

とても穏やかに優しくそう言って私の背中を撫でてくれる。なみだがぽろんとでた。

私は、反対の立場だったら娘みたいにしてあげられる自信がない。自分に相当余裕がないときっとできない。

「ちょっとかして、解いてあげる(できるかどうかわかんないけど)」といって取り上げる。
「イライラしないの!」って逆ギレする。
「せっかくプレゼントしたのに、大事にしてよね」ってせめる。
「なんでぐちゃぐちゃにしちゃったの」って悲しんでみせる。
「落ち着きなさい」って命令する。
しまいには「うるさい! 文句ばっかり言わないで!」っておこる。

私ならこんな対応をしてしまう。これって、毒親の典型例で、親業トレーニングとかでは「やってはいけない例」としてあげられている行動。わかっているんだけど(本読んだから)でも、やっちゃう。

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それに愛着障害のある人は、悲しんでいる人を見ると怒りを覚える、っていうが、私はまさにそれなんだと思う。

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娘のとった行動は「共感を示す」「ボディタッチをする」「明るい未来を見せる」「悲しみと怒りを理解して受け止める」「責めない」。

もうどっちが親だかわからない。

5歳でこんな大人の役目を負わせてしまっている自分がとてもとても情けなくなった。子供の頃に大人の役目を背負わされた人は、愛着障害になりやすいという。例えばそれはうつ病の親だったり、夫婦の問題を子どもに相談する親だったり、小さい兄弟の世話を任されたりした人だったり、という場合だ。

私ももしかして同じことをしているんじゃなかろうか、っていうかこれはしてる。娘が人に共感を示す(感じるだけでなく表現する)ことができる人間になっているというのはとても喜ばしいことである反面、自分の子供みたいな反応と、いかにも愛着障害のある人的な逆ギレ反応をしていることにすごく反省した。

ちなみに、寄り添ってくれた娘の横で、黙々とやっていたら最終的にネックレスは解けた。

「やったー! ほどけたよ! よかったー! うれしいよぅ!」

と喜ぶ私に娘。

「よかったね! 言ったでしょ、ゆっくりやれば解けるって」

と言ってくれた。

本当どっちが大人だかわからん。

5歳ちょっと、娘の言葉メモ

おめめつぶってもあたまのなかでえが見えるよ。おめめあけてても、あたまのなかでえがみえるよ

(絵のない童話を読み聞かせしてもらいながら目をつぶって)頭の中に絵を描いてるの。

ママにしかられると、からだぜんぶがちょっとびりびりってなるの。

おおきくなったらままとけっこんする。

かみさまおほしさま、ままちゃんがげんきでいますように。

ぷりんせすになりたい。

ままちゃんももんてっそーりのがっこういかないとだね。ゆっくりやるんだよ。いそがなくてもなくならないから、ゆっくりていねいにやるんだよ。

わるいことしたらおしいれにいれてね(押し入れ入るの好き)。

(新しく買ったETCカード的な端末を使う前に私が「これ、ちゃんと動くのかしら、ピッて通るのかしら、心配だわー」といったのに対して)そんなこと言ったら機械ちゃんがしょぼーんってしちゃうでしょ。きっときちんと使えるよね、楽しみね、って言ってあげないといけないよ。

(一緒にプールに入らない友人の父親に対して)いいお天気だよ、お水は冷たくて気持ちいいヨォ〜!

 

ちゃんと見ないとカラカラになっちゃうよ

娘とおしゃべりをしていて、私が面倒臭くなって何か別のことをやりながら適当に返事をしていたら、娘が

「ちゃんと見ないとカラカラになっちゃうよ」

と言った。すごくストレートに、普通に言った。

ハッとした。

話をする時は相手をきちんと見て話そう、なんて、とても当たり前のことなのに。娘がモジモジして人の問いかけに答えない時に「失礼ですよ」とか言っているのに、私自身が死ぬほど失礼なことしてた。

話す時に見てもらえないと、心がカラカラになっちゃう。そうだよね。

心はむずかしい

親としてこれはいいのか悪いのかすごく微妙なのだけれど、人間としてとても心に触れることがあったので記録しておく。

私は9歳の頃に、ものすごく懐いていた父を病で亡くした。最近、様々な本を読んで気づいたのだけれど、私はその喪失体験から完全に立ち直っていない、未解決型であるような気がする。父のことを考えると未だに涙が出る。

先日娘と、「おとうさん」というテーマで話していて、ママのお父さんは、ママが小さい時に死んじゃったんだよ、という話をした。それは今までも何度も話したことがあるので、娘も知っている。

でもその時、わたしはぼそっと「お父さんに会いたいなぁ」って言ってしまった。

すると娘は、「お父さんごっこしよう! ママちゃんがおとうさんで、わたしがママになる!」という。そして私の隣に座って、「おとうさんー!」と話しかけてくる。

じわっと涙が出る。でも、娘は無邪気に「おとうさん、おしゃべりしようよ!」と話しかけてくるので、こちらも、お父さんとして返してやらねば、と思う。でも、一体なんといったらいいんだろう。

「先に死んじゃってごめんね、寂しい思いさせてごめんね」

という言葉が出てきた。たぶん、これは私が父に言って欲しかったことなのかもしれない。私は父に対してどこかですごく怒って幻滅していたんだと思う。私を大切だと言いながら置いていなくなってしまったことに。

娘の前で泣いてしまった。娘は、私が泣いているので、一緒になって泣く。

しばらくそうしていた後に、今度は娘が電話を取り出すふりをして「ぷるるるー、もしもし? 私、ママちゃんのおとうさんね」といってお父さんのふりをして私に電話をかけてくる。

私「もしもし、お父さん?」
娘「はいはい」
私「…ありがとう」

この子は私を救うために来たんじゃないか、と思ってしまった。

娘の前で涙を見せることとか、心の傷を見せることに対して、親としていけないことをしているんじゃないかという思いがある。娘をセラピストみたいにして頼って甘えてしまっているんじゃないか。そうすることによって、娘は甘えられなくなるんではないか、と。

だから、とても心を動かされたけれど、自分の弱さによる娘への影響もすごく心配な一件。でも忘れたくないので記録。

魔女の宅急便で大泣きする4才

我が家の小さい人は、いままでトトロとサウンドオブミュージック以外の映画で怖がらなかったことがない。でも、きっと魔女の宅急便なら大丈夫だろうと、ムービーフライデーの今日、見せてみた。

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でも、やっぱり泣いた。

映画が始まってから、ずっとじっと固まって、すごく不安そうな顔で画面を見つめていた。そして途中でぼそっと「こわい」と。そのまままた固まって見ているのだけれど、お口がへの字になって、必死に涙をこらえている顔をしている。そしてついに泣き出した。

「どうしてお家に帰らないの…?」

そう言って我が子は泣き続けた。キキがパパやママを残して旅に出たのに、全然家に帰らない。キキはママと一緒じゃない。それをみて自分の身に置き換えて、ママと一緒に暮らせないっていうことを考えたら、悲しくて悲しくて仕方がなかったらしい。

ひどく泣くので、見るのやめる? と聞いてみたけれど、泣きながら最後まで見た。映画一本通して、娘が笑ったのは、落ちていくトンボをキキがつかまえた時だけ。

4歳児には魔女宅のシチュエーションは、想像するだけで辛すぎるものだったらしい。かわいそうなことしちゃったな。これなら大丈夫だろう、って思ってちょっとアニメを見せてみても、トトロ以外は今のところ全滅。トトロすごい。

割れたカップと4歳児の悔し涙

我が家では、娘の手の届く場所に、娘用の食器が置いてある。そのなかに、昨年のクリスマスにサンタクロースからもらったカップ&ソーサーがあり、娘はそれを気に入って使っていた。

今日、私が夕食の準備をしていると、娘が台所に入ってきた。娘がそのカップとソーサーをてにとってダイニングへむかったそのとき、カップがソーサーから転がり落ちてしまった。

私は食器の落ちる音にはっとして振り返って娘をみる。娘も私をみる。

私は何も言わずに、あっ、という顔をしただけで自分の料理に戻って娘に背を向けた。というのも、彼女が自分でどう処理するのか見たかったからだ。

娘は数秒呆然としたあと、しゃがんでカップをひろい、確かめて、それを持ってダイニングに行く。

泣かなかった。割れちゃった、ともなんとも言わなかった。静かに、ひとりで、心の中に収めようとしていたのかもしれない。その後、冷蔵庫からジュースを取り出し、そのカップに注いでいるのをみて、私はついに声をかけた。

「カップ、割れていたらそれで飲むと危ないよ」

娘は、小さく『ちょっとだけ割れた」という。カップをみると、形はとどめているものの、飲み口の周りが欠けている。「大好きなカップなのは知っているけれど、これでジュース飲むと危ないから、飲むのにはもう使えないよ」というと、数秒堪えてから、静かに泣き出した。

抱きしめてやると、堪えるようにして泣く。サンタさんからもらった大切なカップ、大事にしていたのに、落としちゃって悔しいね。自分で壊しちゃったのだから誰も責められない、悔しくて仕方がないに違いない。

大事なカップだから、飲むために使えなくても捨てないよ。数日前に娘が私に買ってくれた生花がちょうどそのサイズだったので、お花をカップに入れて食卓に飾った。

夜寝る前に、「今日楽しかったことは?」「今日嬉しかったことは?」「今日悲しかったことは?」などを聞くのだけれど、今日も悲しかったことはない、というので、あれ? カップは? というと、「あれは、悔しかったの」と答える。

悔しいと言う言葉と自分の中にある感情が繋がったのかなぁ、と思う出来事でした。

出会いとわかれと優しいむすめ

またひとり、友人親子がこの街を去る。外国人の多いコミュニティに暮らしていると日常茶飯事の出会いと別れ。だんだんと別れにたして鈍感と言うかドライになっている自分を感じることもあるけれど、でもやっぱり寂しい。

今日この街を去る友人と最期のランチをした。彼女も子育てに悩み、親との関係に悩み、ガイジンとしての気楽さや不安を共有してきた。ランチをしながらいつものようにとりとめもないおしゃべりをし、彼女をもう空っぽになった彼女の家までおくり、ハグをして別れた。

泣かなかった。彼女は泣きそうだった。私は堪えた。

でも、車に戻ったときに「やっぱりさみしいよ」とぼそっとつぶやくと、娘がそっと腕を撫でて腕にちゅっとしてくれた。わたしがいるよ、と微笑んでくれる。

彼女は私が悲しいとか寂しいとか言う感情に包まれると、とてもとてもやさしく寄り添ってくれる。もう死んでしまったけれど、以前一緒に暮らしていた猫にそっくりだ。

たった3歳なのに、3歳だからこそ、母親である私の精神状態にすごく敏感で、私が笑って幸せで穏やかで居ることをいつも願っているし、実際にそうすべくおどけてみたり、慰めてみたりする。超イケメンだ。こんな男の人が居たら惚れる。

「会いに行けばいいよ」と娘は言う。そうだね、会いたければ会いにいけばいいんだ。

娘は私を救うためにこの世にきたんじゃないかと思うことが多すぎる。そうや感じることが彼女に何らかの期待をかけて負担になっていたりするんじゃないかと言う不安もあるけれど、でもやっぱり、そう感じる。

こう書くと天使みたいだけど、普段はおてんばではしゃぎまわって、私がダメと言いそうなことばかりワザとする、私の注意を引きたくて仕方がないちいさい人です。

鬱と自殺

ディプレッション(鬱)についてのTED Talkを見た。

日本の自殺率はすごく高い。自殺した人のうち鬱を患っていた人もすごく多い。私は身近な人を数人自殺で亡くした。身近というほどでもないけれど,ちょっと知っている人、友人、先輩などでも自殺した人もいる。自殺しようとした友人を助けて病院に運んだこともある。

そして私は排卵期、PMS期に鬱っぽい気分を感じている。

私自身が感じている鬱っぽい気分が本当に鬱と呼べるものなのかはわからない。たぶん鬱の診断基準たる「何週間も続いている」というのに該当しないので(生理になれば落ち着くから)鬱だとは言いきれないのだろうと思う。けれども、これが毎月1、2週間襲ってくるとなると人生の半分を鬱っぽい気分で過ごしていることになる。

私の生まれ育った街ではけっこう自殺が多く、どこそこの誰々さんが自殺したんですって、という話をちょくちょく聞く。そうすると出てくる反応は「残った人に迷惑かけるな」「あの人は心が弱いから」「今まで何回も自殺未遂してきたらしい、とうとう成功したか」「自殺とか恥ずかしい」とかそういう言葉。誰もその死んでいった人の痛みをわかろうとしない。

そんな環境で、いざ鬱になったところで、誰にもきっと助けを求めることなんてできない。

このビデオの人は、自分がおかしい、辛い、と感じた時、父親に助けを求め、翌日には治療を開始したそうだ。この「助けを求める(ちゃんと助けてくれそうな人に)」というのができるかできないかは、すごく大きな違いだと思う。

私はできなかった。親に助けを求めても助けてくれると思えなかった。むしろ非難され罵倒されるだけだろうと、親には何も言えなかった。

私は今人の親だ。私の子どもはあと10年もすると、思春期を迎える。そのときに、本当に辛いときに私に話せば助けてもらえる、と子どもが信じられるように接していきたい。

あなたの大切な人が「うつ」になったら
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しあわせのきおく

すっごいすっごいめっちゃだいすき!

ちいさい人がわたしに向かってそう言ってくれる。朝から晩まで、愛情のシャワーをくれる。泣いたり喚いたりするときはいつも「ままちゃんといっしょにいたい」「ままちゃんとくっつきたい」「ままちゃんのおかおみたい」「ままちゃんのおめめがみたい」と言って泣く。

こんなに誰かに愛されて、それをこんなにストレートに伝えてもらえるなんて、わたしはなんて幸せなんだろう。

ときどき「ままちゃんきらいっ」「ままちゃんいらないっ」「いやっ」といってぷいっとする。どうして? ときくと「一緒にあそんでくれないから」。ちょっと待ってね、ばっかりであそんでいないことに気づく。

「ぱぱちゃんが帰ってくると、ままちゃんぱぱちゃんぎゅっぎゅいっぱいできてうれしいからうれしい」と、わたしの幸せが彼女の幸せであると言う。彼女はわたしが幸せだと幸せなのだ。

愛情って、生まれつき持っているんだろうか。こんなにまっすぐであったかい愛情を、わたしも持っているんだろうか。

エイリアンの心

Your mommy and I will be talking in the room, so you can come anytime you want.

そう声をかけられて、我が子が急に泣き出した。大声で泣きじゃくり、抱き上げてぎゅうっとしてもなかなか収まらない。

アルゼンチンに来てから彼女はずっとエイリアンだった。周りの人はみんなとても優しく、いつも声をかけてくれて可愛がってくれるけれど、誰ひとり、彼女のことばで話しかけてくれる人はいない。アルゼンチン語を少し筒理解しはじめたとはいえ、自分から何かを伝えるほどのことはまだできない。

TCKらしく、あっという間に誰とでもなじみ、ことばを介さず、ひょうきんな顔をしたりおどけたりして笑いを取って、コミュニケーションをとるけれど、ことばで心を表すこともできず、心に触れてくれる人もいなかった。

そんな折り、英語で話のできる人がいて、その緊張の糸がとけてしまったらしい。英語が通じる、ということがそれほどまでに彼女の中で大切な要素になっていることに、正直少し驚いた。

エイリアンであること、コメディアンであること。あんなに小さな体をして、人から受け入れられるために、人を幸せにするために必死に生きている我が子。たった3歳にして、そんな技を身につけさせてしまったことに、申し訳ない思いもする。

こちらでお世話になっている家の大家さんの息子さんが英語を話す。彼が庭先で煙草を吸いながらぼーっとしていたりすると、我が子は飛んでいって隣に座り、ずーっと一緒におしゃべりをしている。言葉が通じることが嬉しい、という当たり前のこと。でもそれはすごくすごく、大切なことなんだと、我が子を見ていてあらためて気づかされた。国や文化のあいだを行ったり来たりしている私たち。一番気にしなくては行けないのは、我が子の心の安定なのだ。