6歳、自分で本を読み始めた

日本に住んでいなくて、身近に日常的に会う日本人もほとんどいないという環境の私たち。小さい人の日本語をなんとかするのはほとんど私の役目なわけです。ちなみにうちにはテレビもないので、日本のテレビを見たりとかいうこともほとんどありません。

今の所、小さい人の日本語能力、特に会話については問題ないんじゃないのかなーと楽観しています。たまに日本に行くと、同じくらいの子の語彙や敬語の使い方に「うちの子足りてない!」と焦ることもしばしばですが、私の言っていることはすべてわかるし、自分のこともだいたい日本語で表現できます。英語と日本語ではどちらも同じくらいと本人は言っていますが、独り言がほとんど英語なので、頭の中は英語の方が若干多いのかな? と思っています。

さて、問題は読み書きです。こればっかりは、日常的に喋っているだけではなんともならないので、読んだり描いたりする必要があります。ひらがなは前からだいたい読めるのですが、カタカナは怪しいし、ひらがなでも「ち」と「さ」とか似ている文字は怪しい。

本は小さい頃から身近にありますが、絵本ばっかり、あるいは、私が読み聞かせするばっかりで、まだ自分で読む、ということはありませんでした。

さて、6歳。そろそろ自分で読んでくれよ、というわけで、大きめのひらがなばっかりで書かれた本を買って、車の中に放置しておいてみました。毎朝学校まで30分弱のドライブです。その間、暇です。本を手に取ります、そして、自分で読み始めました。今読んでいるのはこれ。

 

いやいやえん (福音館創作童話シリーズ)
中川 李枝子
福音館書店
売り上げランキング: 3,517

実は私まだ自分で読んでいません。小さい人が、車の中で声に出して読んでいるのを聞いて、ふん、ふん、と言っているところです。1日数行から1ページのペースですが、ここ数日は毎日読んでいます。

それから、「こども世界名作童話」シリーズも買って見ました。これもじが大きくてひらがなとルビが振ってあるので、多分、読めます。今のところ、寝かしつけに私が読んでいますが・・・

くるみわり人形 (こども世界名作童話)
エルンスト・テーオドール・アマデーウス ホフマン 深田 甫
ポプラ社
売り上げランキング: 344,185

「くるみわり人形」ってこんな話だったんだっけ・・・結構色々突っ込みたくなる話でした。

それからまだ届いてないけれど、こまったさんシリーズも買って見ました。

こまったさんシリーズ おはなしりょうりきょうしつ 全10巻
岡本颯子 寺村輝夫
あかね書房
売り上げランキング: 113,793

あとは、手塚治虫の豆コミックを買ったのですが、今の所絵を見てるだけらしいです。二人でベッドに転がってブラックジャックを読んでいます。そのうち字も読んでくれるといいな。

ミニコミ 手塚治虫 漫画全集 Vol.1 200巻 特別限定セット BOX
セガトイズ (2007-01-27)
売り上げランキング: 6,738

ひらがなばかりで書かれている本で、6歳が読めそうなのは他に何があるかな? 自分が6歳の頃、何読んでいたのか覚えていません・・・・

おおきな木

おおきな木

おおきな木

posted with amazlet at 16.10.20
シェル・シルヴァスタイン Shel Silverstein
あすなろ書房
売り上げランキング: 5,364

「おおきな木」という本あります。これはどちらかというと大人向けの絵本じゃないかな、と思うのですが、娘の本棚に入れてあります。ちなみに私が持っているのはスペイン語版です。

泣けます、この本。感動する、いい話だっていうんじゃないんです、悲しいんです。泣けてきます。愛情のすれ違いっぷりに辛くなります。

先日、娘がこの本を読んで、と言って持ってきました。

うちの子のスペイン語力は、Manzanaってなに? Esconditeってなに? ってきくと単語の意味はわかっていたりするのですが、この本を読んでもらってちゃんと理解できるレベルではありません。そんなわけで「にほんごでよんで」となり、大雑把直訳日本語読み聞かせをしました。

私の肩にもたれて静かにしているので、ねちゃったかな? と思って横をみると、娘のほおに一筋の涙が。

この本を読んだのは初めてではなくて、ずいぶん前に何度か読んで私が泣きそうになっているのは知っていましたが、この話を理解して涙を流す、というのが5歳にもおこることなのか、と驚きました。どういう理解をしてどうして泣いていたのか、本人は説明できないようでした。

愛ってなんでしょうね。

ハイヒールを履いたっていいじゃない

野宮真貴の本をKindleでポチってしまった。アマゾンポイントがあったからほぼタダ。美しくあるための、野宮真貴流の技がいろいろかいてある。あっという間に読めた。

普段、ビューティ系の本なんて買わないけれど、なんてったって野宮真貴だ。

赤い口紅があればいい いつでもいちばん美人に見えるテクニック
野宮 真貴
幻冬舎 (2016-09-23)
売り上げランキング: 663

中学生の頃、ピチカートファイヴが大好きだった。歌ももちろんだけれど、それよりも野宮真貴が好きだった。ぽってりした唇に、大きなウィッグとか、猫みたいなアイラインとか。その野宮真貴、今では56歳。今も美しい。

知らなかったけれど、若い頃に結婚と子育てもしてもうずいぶん大きな子供がいるらしい。

56歳というと、私が高校生くらいの頃の自分の母親の年齢だな、とふと思いついた。当時の母は、過干渉の毒親で思春期の私との関係は最悪であったけれど、野宮真貴の本に書いてあるような、美しくいるための小技をふとした時に教えてくれた。猫背の美人より背筋の伸びたブスの方が美しく見えるとか、脚は隠すと太ってたるむから見せておくべしとか(実際50代でも膝上のスカートにハイヒールを履いていた)、マニキュアの塗り方とか、自信のあるパーツに目を集めよ、とか、立ち方とか歩き方とかそういったことだ。ちなみにわたしの母は決して美人ではないが、田舎の保守的な街では「派手な女(つまり評価は良くない)」と思われていたらしい。まあ葬式に真っ赤な口紅をつけて参列するような人なので、そういう評価をされても仕方がない。

そんな母とは折り合いが悪かったので、そういった教えにも反発し、私はいつもジーパンで男の子みたいな格好をして男の子たちとつるんでいた。女を売り物にすることにものすごい嫌悪感があったのだ。でも、母から離れてみると反発が減って、実は女子っぽいものは好きなんだなぁ、と気付いた。

私の娘もすごく女子っぽいものが好きだ。私自身、妊娠前はいつもハイヒールを履いていた。でも、妊娠出産を言い訳にして、お金も時間もないし、と、いろいろと手抜きになっていたところに「ハイヒール履いているままが好き」「スカート履いているままが好き」「今日はこのネックレスつけてね」「一緒にマニキュア塗ろう!」とかもうめちゃ女子力が高い。

そして、自分がそういうのが好きというのものちろんだけれど「オシャレしているままが好き」というのだ。

オシャレって人のためにするもんじゃない。男の人のためにするものでは全くもってない。ましてもちろん娘のためにするもんではない。でも、「好きなものを好きって言って身につけていいんだなぁ」っていう当たり前のことを思い出させてくれた。育児はもう言い訳にならない。「わたしもうままのイヤリンひっぱらないよ」「もうだっこしてあるかなくていいんだよ」「ぶつぶつあってもかわいいよ」って娘が言う。ハイヒールを履いていると「ままかっこいいー!」って言ってくれる。人のためにしているんじゃないけれど、でも、自分の好きなものを身につけて褒められるって、嬉しいなって思った。

自分の好きなものを身につけて、背筋を伸ばしてしゃんとしている母親でいたいなぁ、と思った。

あれだけ反発して大嫌いだった母親と、結局好みが似ていて、自分の娘も同じようなものが好きとは、因果だなあ、と思う。

あと10年もしたら、母と私の間にあったような死闘が、私と娘の間にも起こるんだろうか。それは絶対に避けたい。

母が嫌いだった原因は、母が女っぽいものが好きだったためではなく、過干渉だったためだ。そのため母が嫌いになり、母に付属する、ハイヒールとか、スカートとか、赤い口紅とか、背筋を伸ばして堂々としていることすら、そいうものもを自分のものとする=母みたいになる気がして嫌だったのだ。でも、今は、それは別だって考えることができる。過干渉だった母とは今でもできれば関わりたくないが、赤い口紅にもハイヒールにも罪はない。

だから、野宮真貴もそう言ってるし、って開き直ってハイヒールを履こうと思う。

 

神様のグミ

うちの小さい人は、日本に滞在中はキリスト教系のモンテ幼稚園へ入れてもらっている。そこで、キリスト教っぽい教育を受けるので「神様」」とか「お恵み」とかいう言葉を発するようになる。

娘「おめぐみ、ってなんだか知ってる?」
私「なんだと思う?」
娘「おめぐみってね、グミなんだよ」

子供の世界はとても面白い。

先日、図書館で借りてきてこんな本を読んだ。

2歳から5歳まで
2歳から5歳まで

posted with amazlet at 16.01.22
コルネイ・И. チュコフスキー
理論社
売り上げランキング: 85,348

時間がなくて読みきれなかったのだけれど、子供がとらえた世界を子供なりの言葉で表現している話がたくさん書かれていてとても面白い。子供にとって、知らないものの概念を持つことは不可能なわけで、知っている概念で世界を解釈し、子供なりの文法的なルールを見つけて自分語としてつくりだしてく。

ロシア人のかいた本なので、ロシア語の知識があったほうがもっと面白いと思うのだけれど、翻訳でもそれなりに伝わってきた。

うちの小さい人も、自分なりにいろんな言葉を作る。

スペイン語では、Papá、mamáと二つ目のパとマにアクセントをつける。だから、パパ、ママ、のあとにbabá(バ)と二つ目のバにアクセントを置いてばあばをよんでいた。あとは、パパとママをまとめてマパとかパマとか呼ぶこともある。

英語では、たとえばtidy upといった2つの単語がセットになった言葉は、娘にとっては一つの単語らしく、Tidy-uppingというように言う。私は今tidy-upしているのだから、tidyuppingなのだ。

「かみさまのおめぐみ」が「グミ」となってしまうのも、今の彼女の世界の捉え方なのだなあ、と思うととても可愛い。

子どもの「わがまま」がピタリと止まる本、をよんだ

図書館があるっていいですね。こんな本を借りてきました。

子どもの「わがまま」がピタリと止まる本―豊かで実のある親子関係の作り方
キャロリン・クラウダー
PHP研究所
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食事、寝つき、朝の準備などで、子供がわがままを言うことをやめさせる方法、っていうものだけれど、書いてある内容は、「親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方」の内容の一部をシンプルにしたようなもの。

基本的に、ダダをこねることを聞き入れてはいけない、子供が選択したことの結果を体験させるべし、というもの。

たとえば、子供がレストランでダダをこねたら「ここではお食事したくないみたいだから帰りましょう」と言って帰る。「いい子にするから戻って」と言われても戻らない。

これは私もやっているけれど、もう一つ重要なことが書いてあった。「今度はゆっくり食事ができるといいね」などと、次のチャンスがあること、きっと次はちゃんとできる、と子供を信頼していることを伝える、ということだ。

わたしは「こんなにダダをこねるなら、もう連れて行かない!」と言ってしまう。子供を信頼していないし、次のチャンスはないっていっている。しかも、言っておきながらまた連れて行くという一貫性のない態度。

反省した。

これに気づけただけでもこの本を借りた意味があるってものだ。

この本自体は結構ポイントを絞ってシンプルに書いてあるけれど、もっと体系的に詳しく知りたい場合は「親業」の方をお勧めする。

親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方
トマス ゴードン
大和書房
売り上げランキング: 10,866

「子供の絵をダメにしていませんか」を読んだ

子どもの絵をダメにしていませんか
鳥居 昭美
大月書店
売り上げランキング: 96,121

図書館で借りてきた本。もうちょっと早く読みたかった、と思った。

実際の子供の絵とそれに関する親のコメントを元に、美術教育の専門家があれこれ言う本。

書かれているのは「子供に形を教えてはいけない」「基本一色で描かせる」「塗り絵は7歳から」などといったこと。形を教えると、子ども自身が自分で発見する機会を奪ってしまう、という。そりゃそうだなぁ、と納得。モンテにも通じる。

年齢と発達によって、こんな順番で絵は進化していくよ、というのも書かれているのだけれど、本来の発達より早くその特徴が見えると、この著者は「この年齢では早すぎる、不自然だ、残念」とばっさり。

実際自分の子の描く絵は、著者の言うのびのびと順調に発達しているという絵もあれば、「不自然に早い」とバッサリ言われるような特徴も持っている。

あまり絵を教えたり、こう描いたら、というのは言わないようにはしているつもりだったけれど、描いて、とせがまれると描いてやっていたので、教えるつもりはなくても教えてしまっていたのだろう。

我が子はお絵描きは大好きなので、できるだけのびのび描かせてやるようにしよう。

モンテっ子のその後を書いた本

モンテッソーリと言うと、超大物イノベーターたちが受けていた教育だ、といって注目されている。けれども、モンテッソーリで育った子がみんながみんなものすごい有名人になるわけではなく、そのへんの普通の人にもモンテっ子はいるはず。

そんな普通のモンテっ子のその後を追った本があったので読んでみた。Kindle本もあるから海外在住には助かる。

モンテッソーリ教育を受けた子どもたち 幼児の経験と脳
河出書房新社 (2014-02-07)
売り上げランキング: 56,543

著者は日本におけるモンテッソーリの第一人者、相良敦子氏。調査対象は日本のモンテっ子なので、基本的にモンテ教育は3歳から6歳の三年間しかうけていない。

この著者のモンテ本は何冊か読んで、とても参考にさせていただいている。どれも、モンテ推進者の書いた本ということで、批判的な記述はない。

この本には、40年もモンテッソーリに関わってきた相良氏だからできる調査結果が並んでいる。調査結果と言っても数値でデータ化されているわけではなくて、モンテで育った本人やその親からの聞き取り調査をもとに、モンテで育った人はこんな傾向がある、ということが書かれている。登場する人は、超大物イノベーターではなくて普通の人。なかには一時期引きこもりになった人もいる。でも、それぞれの生き方がモンテらしい。

詳しい内容は本書を読んでいただければわかるけれど、モンテで育った人は、自分を信じていて、地に足がついていて、そして他人や社会を基本的によいものとして捉えて、フェアな判断を下す、という感じに見える。印象としては、穏やかで幸せな人生を生きているのではないか、と。

モンテ信者としては、わかっていたけれど、あらためて調査結果を読んで安心したわ、って言う感じの本だった。

別にモンテ批判をしたいわけではないけれど、モンテ信者として偏った目線ではなくフェアな目線でみたものを知りたい。たとえば、モンテッソーリで育つと優位に自殺率が低いのかどうかとか、さ。

我が子は20か月からモンテで、今4歳ちょっと。6歳までモンテにするか、その後もモンテにするか悩み中。

『子は親を救うために「心の病」になる』を読んだ

子は親を救うために「心の病」になる
高橋 和巳
筑摩書房
売り上げランキング: 162,900

読んでいて涙が出てきた。

精神科医でカウンセリングを専門にしている著者のことばが、じわじわとしみ込んでくる。

見出しをいくつか。

  • 息子は親を救うために引きこもった
  • 反抗期の激しさは、親が教えた「心の矛盾」に比例する
  • 親の辛い生き方が子を苦しめる
  • 親の生き方に修正を迫る思春期の「心の病」
  • ママの苦しみをとって
  • お母さんは自分を生きていない、お祖母ちゃんを生きている
  • 言ってほしかった言葉は「ごめんね」ではなく「ありがとう」
  • 母親と一緒に痛き奥がないのは我慢していたから
  • 虐待されて育った子は「善と悪が逆」になっている
  • 親とのつながりを持てないと世界は希薄化する

子どもは親に幸せになってもらいたいという思いで生きている。それは私自身が娘をみていて日々感じている。娘は、私が笑顔でいること、私が幸せであることが、彼女の幸せであると言う。たった3歳のちいさなその全身から、私の幸せを願っているものすごいエネルギーが感じられる。

それに比べていかに自分は利己的かと思う。自分の幸せを考えている。娘は自分の幸せなんて考えずに、親である私の幸せだけを望んでいるというのに。

私が悲しそうな顔をしていると、変な顔をして笑わせようとする。何かにぶつかって痛いと言うと飛んできて抱きしめて、いたいのいたいのとんでけ! としてくれる。

とても優しい愛にあふれた娘だけれど、もしかして私は彼女にいろんな我慢を強いているんではないかと不安になる。彼女は私のことを心配しているばかり、いつか爆発するのではないか。

本書に、思春期に荒れる子どもとその親の例がいくつか出てくる。著者は親と面談し、親のカウンセリングをする。そうすると、子どもの暴力がとまる。なぜならば問題の本質は親のほうにあるからだ。子どもは親自身が抱える苦しみに気づき癒してほしいから、気づかせるために暴力に訴える。これだけ言ってもわからないの? 叩かないとわからないの? 叩きたくない、叩かせないで、でもそうしないとわかってくれない。

甘えることを知らずに大人になった母親が、心の底では甘えたいと思っていながら、甘えることを許せない自分がいる。いい子の息子を褒めることで、いい子であることを押し付けてきた。それが思春期になって甘えはじめた息子、暴力も甘えからきている。それが許せない。でも母親は「甘える息子が許せない」ということに気づいていなかった。

私も自分自身にいろんな葛藤がある。頭ではわかっていても、自分が専業主婦であることが心の底では許せなくて、自己否定感に常に苛まれている。他人が専業主婦でもなんとも思わないのに、自分だと許せない。自分に怒り、自分を非難している母親というのに、娘はもしかしたら気づいているかもしれない。具体的な何かがわかっていなくても、私の中に葛藤や苦しみがあることに、彼女はおそらく気づいている。私が今これを解決しないと、きっといつか、思春期くらいに大変なことになるんじゃないかと不安だ。

私自身、思春期は地獄だった。あんなこともう二度とやりたくない。よく人も自分も殺さずに思春期を生き延びたと思う。でもまたあれをやらなきゃいけなくなったら、それも親の側でやることになったら、生き延びられるかどうかわからない。

カウンセリングを受けたいという気持ちはずっとずっと前からあるけれど、一回15000円のセッションを毎週受けるとかはとても無理だ。でも今なんとかしないといつか大変なことになる。いつも思うけれど、社会復帰のためにカウンセリングが必要な人のうちのある程度の割合の人はきっと無職だったりあまり収入がなかったりで、だからこそカウンセリングが必要なのだけれど払えないから受けられない、という葛藤にあるんじゃないかと思う。出世払いみたいなのができればいいのにな…

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)
岡田 尊司
光文社 (2011-09-16)
売り上げランキング: 840

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)も私に多くの気づきを与えてくれた素晴らしい書。これらの本、それから他のいろんな本に書かれていることは、つまり「親とこの間の愛着」のこと。

人間が生きていく上で、親との関係は本当に本当に大事なものなんだ。自分が子どもだった頃、親が嫌いで仕方がなかったけれど、親元を離れてひとりで生きていくようになれば全て解決すると思っていた。でも、何も解決していない。ずっとその呪縛に苦しんでいる。娘は私を救うためにこの世にきたのかもしれない、と私自身感じている。助けて、救って、と思っているわけではないけれど、どこか心の奥底で私は娘に甘えているのかもしれない。上記2冊とも良書、おすすめです。

親であるって難しい。

ガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を再読した

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))
ガブリエル ガルシア=マルケス
新潮社
売り上げランキング: 2,171

アルゼンチンに来る前、私の中で南米と言えばガルシア・マルケスだった。彼はコロンビアの作家である。私がこのブログを書くときに使っているErendiraという名前も、ガルシア・マルケスの小説「エレンディラ (ちくま文庫)」から拝借している(ちなみに『百年の孤独』にもちらっとエレンディラがでてくる)。

ガルシア・マルケスをはじめて読んだのは「予告された殺人の記録 (新潮文庫)」で、その構成の美に圧倒され、南米には素晴らしい文豪がいるのだと目を見開かされた。その頃私は、自分が南米へ行くなんて言うことは全く思っていなかった。

そして今、再び南米に戻り、友人宅の本棚で見つけた「百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))」を一気に読み終えた。そしてあらためて、ガルシア・マルケスの世界に圧倒されている。

実はこの本はずいぶん以前にも読んだことがある。その時はまだ南米に来る前、スペイン語はcervezaしか知らない頃、英語のペーパーバックで読んだのだ。なぜなら、ぜひ読みたかったが、日本語のハードカバーは3000円ほどするのに対し、ペーパーバックは半額以下の値段だったからだ。しかし自分の英語力では読むスピードがずいぶん遅く、一冊読み終えるのにずいぶん時間がかかった。

One Hundred Years of Solitude (Penguin Modern Classics)
Gabriel Garcia Marquez
Penguin Classics
売り上げランキング: 28,919

今回日本語で一気に読み終え、この本は一気に読んでしまわないと、そのぷすぷすと醗酵するような濃厚な空気感を味わい尽くせないと感じた。

ブエンディア家にまつわる100年にも及ぶその歴史、その愛と憎しみと孤独と智慧と乱痴気をぎゅうぎゅうにつきかためて醗酵させたような小説だ。その歴史の中で何度も繰り返される逃れられない運命の歯車に、まるで絡めとられるようにして生まれ生き死んでゆく人々のそのときどきの歴史の断片が、ことばで紡がれたそばから消えてゆく。

この小説を要約するのは私にはできない。できたところでそれが意味をなすとも思えない。

実は以前、私はこの小説の舞台であるマコンドの街のモデルとなった街アラカタカ行ってみたいと思っていた。けれども今回この本を日本語で一気に読み終え、その気持ちは消えてしまった。それは興味をなくしたとか幻滅したからではなく、マコンドは現実の世界で追い求めていくべき場所ではないという思いを新たにしたからだ。

百年の孤独 720ml
百年の孤独 720ml

posted with amazlet at 14.10.09
黒木本店
売り上げランキング: 61

こんなのみつけた↑ マルケスファンの蔵本なのかしら?

子どもに第三者の視点が目覚めるとき「わたし」

わたし (かがくのとも傑作集―わくわくにんげん)

谷川俊太郎の『わたし (かがくのとも傑作集―わくわくにんげん)』という本がいい。

すごくシンプルに「わたし」を第三者の視点から見るとなんなのかが書いてある。

わたし おかあさんからみると むすめのみちこ

わたし おもちゃやさんへいくと おきゃくさん

て言う具合に。

人間赤子の頃は、自分と他人が別の人間であるということが理解できないらしい。じぶん=お母さんだし、自分の物と人の物が区別できない。

それが2歳くらいの「イヤイヤ期」になると、自我が芽生え、どうやら自分とお母さんはちがうらしいぞ、と薄々感づき始めるらしい。

うちのちいさい人は3歳。

この本は、自分という存在を第三者視点で見る練習にもなるらしい。みちこ、を娘の名に置き換えて、○○からみると? と聞くと、さくっと答えたり、ときどきはうーん、と考えながら答える。

自分を客観的に見る能力というのは、人生ずーっと大切で必要な能力だろうとおもう。それがこんなにちいさい時期に開花するのかとおもうと、人間の成長とは実に興味深い。

こどもに手紙を書いてみた

手書きのお手紙って嬉しい。

実は娘が生まれたときにメールアドレスを取得して、そのメール宛に度々写真やらちょっとしたことをメールしているのだけれど、それを読むのはきっとずっと大きくなってからだろうし、それを想定して書いている。

でも、今感じている気持ちは、今伝えた方がいいよなぁ、と思ってお手紙を書くことにした。今伝えたい相手が目の前にいるんだから。

ちょうど最近読み始めた「It’s OK Not to Share and Other Renegade Rules for Raising Competent and Compassionate Kids
」にも、「手紙を書く」という項目があった。

It's OK Not to Share and Other Renegade Rules for Raising Competent and Compassionate Kids
Heather Shumaker
Tarcher
売り上げランキング: 144,512

こちらは、子供が行った言葉をそのまま紙に書く(つまり子供から他の誰かへ宛てて)、というもので、子供の気持ちを文字にして確認させると言う意図があるらしい。それもちょっとやってみようと思ったがいまいちうまくいかないので、まずは「お手紙」というものを理解してもらおうと、私から娘にときどき手紙を書くことにした。

折り紙にかいて畳んでシールを貼ったものを、お手紙入れ(布で作った壁掛けのポケット)に入れておく。娘は喜んでそれを開いて『読んで!』という。読み終わると満足そうにまた畳んで、大切そうに引き出しにしまう。

お手紙の内容はちょっとしたことだ。

○○ちゃんへ

きょう、ままは○○ちゃんがいたいのいたいのとんでけ、をしてくれて、とっても嬉しかったです。どうもありがとうございました。

ままより

こんなのや

○○ちゃんへ

○○ちゃんがだいすきです。

ままより

とか。

「お手紙」というのは、気持ちが文字になったもので、それを読み返すことによってその気持ちを何度も受け取れると言うすばらしいツールであるということを、なんとなーくわかってくれるといいなあ、と思っている。

「あさえとちいさいいもうと」ごっこ

2歳8か月の娘は最近、お芝居をする。

ストーリーは自作だったり、絵本の筋書きだったりさまざまだが、ずいぶんと絵本のストーリーを覚え込んでいるのだなぁと感心する。自分が登場人物になりきって、お気に入りのシーンを何度も何度も演じる。私にも共演を強いる。

この2、3日よく登場するのが「あさえとちいさいいもうと (こどものとも傑作集)」だ。

あさえとちいさいいもうと (こどものとも傑作集)
筒井 頼子
福音館書店
売り上げランキング: 8,139

ストーリーは、あさえが家の前で遊んでいるとお母さんが出てきて「銀行いってくるからお留守番お願いね」といってしまう。家には小さい妹が寝てい る。お母さんの留守中に妹が起きてきて一緒に遊ぶが、気づくといなくなっている。あさえは必死で探しまわり、さいごは公園の砂場であそんでいるいもうとを みつける、というもの。

子どもだけおいて出かけるとかどうなのとか、家鍵かけなくていいのか、とか、なんか余計なことを心配してしまうが、あさえがすごく心配してどきどきひやひやしているのがとても良く描かれている良書です。

このなかの「おかあさんが銀行へ行く」「妹が公園の砂場にしゃがんでいる」というシーンがお気に入りらしく、自分がお母さんになって銀行へ行ったか と思うと、妹になって砂場にしゃがみ込み「すなばにしゃがんじゃお。〇〇ちゃんってないてください! さがしてください!」と言う。

そこで私が「〇〇ちゃん! あっ! 砂場にいた! と、そこで〇〇ちゃんはすなだらけの手をあげました(ナレーション)」というと嬉しそうに手をこちらに見せる。そのあと私がぎゅーっと抱っこしておしまい。

これを何度も何度も何度も何度もやる。

夕べは「むしさんごっこ』だった。自分が虫になって台所に転がっているから「すぷれーでしゅーして、ほうきでたたいて、あんよでふんで!」とかいい はじめる。それをやっちゃ虐待なので、「あっ、むしさんがいる、きゃーこわい、どうしようどうしよう、こわいけどがんばってつかまえるぞ、えいっ!」と 抱っこしておしまい。

これも何度も何度も何度も何度もやる。

子どもが飽きっぽいとか嘘だ。大人の方がよっぽど飽きっぽい。

他のお芝居の題材はこのへん。

はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)
筒井 頼子
福音館書店
売り上げランキング: 2,761
おでかけのまえに (福音館の幼児絵本)
筒井 頼子
福音館書店
売り上げランキング: 5,428

ところで、こういうお芝居のように、想像上の世界を遊ぶようになるというのは、ずいぶんと発達したもんだなあ、と感慨深い。目の前にない世界、でも自分の頭の中にある世界の中で、実際に存在する体を使って遊ぶ。ごっこあそびって、不思議なもんだなぁ。

成長記録。

昭和の香りたっぷりの良書 – おふろやさん

裸の幼女が裸の男性がいっぱいの場所へ連れ込まれるお話です。最近お気に入りの良書。

おふろやさん (こどものとも傑作集)
西村 繁男
福音館書店
売り上げランキング: 26,025

 あっちゃんがお父さんとお母さんと赤ちゃんといっしょにお風呂屋さんへいくお話。文字は最初のページにしかありません。数行です。でも、本全体を通して言葉に溢れています。

絵はほのぼのしていながら、詳細にわたって昭和の雰囲気を惜しみなく伝えるすばらしいものです。

お風呂屋さんの入り口で女湯男湯別れて「またあとでねー」をして、あっちゃんはお父さんと一緒に男湯へいきます。

お 風呂屋さんにはいると、靴をぬいでロッカーにいれ、番台でお金を払います。脱衣所にはお友達もいました。足の悪いお父さんをおぶってきた息子さんとか、脱 衣所の隅の喫煙所(!)で足袋をはきながら雑談するおじさんもいます。お風呂で泳いではしゃいでおじいさんに「こらー!」と怒られる少年たちや、石鹸を忘 れて「こりゃどうも」と人から借りる人。入れ墨だらけのおじさんの方を見てにやにやする少年たち。壁越しに「そろそろ上がるわよー」というお母さん。

お風呂屋さんの前で待っている女性。出てきた男性。入り口のそばには焼き芋屋さん。お風呂をでたら空が暗くなっていました。

文字はなくとも、そこで交わされている言葉が見えるんです。時間の経過も見え、空気の匂いも感じるみたい。あったかいほのぼのした良書です。

煙 草吸っている人や入れ墨の人、男湯に女の子がいることや、おちんちんもおっぱいもみんな描かれていること。まぁ、昭和的日本文化に理解のない人とか、どこ かの国の人から見たら「What?」な内容ではあります。だって父親が自分の娘をお風呂に入れたら虐待になって娘が施設に入れられちゃうのが普通の国に とっては、こりゃもうポルノの域でしょう。多数の裸の成人男子のなかに裸の幼女をなげこむわけですからね….

繰り返しますが、良書です。おすすめします。

仕様詰めの甘さが招く悲劇のお話 – ふくろうのそめものや

最近の我が子のお気に入りの絵本はこれ。

ふくろうのそめものや (あかちゃんのむかしむかし)
松谷 みよ子
童心社
売り上げランキング: 283,001

昔カラスは真っ白でした。他のとりはみんな奇麗でびっくり、どうしたらいいのか聞いたら、ふくろうが染物屋をやっていると。そこでカラスはふくろうに染めてくれるようにたのみに行く。ふくろうが染めたものがカラスは気に入らず、文句を言って修正させるがそれでも気に入らないのくりかえし。ふくろうは怒って染料を全部ぶちまけたらまっくろのカラスが出来ました。

という、とても悲劇的なプロジェクトのお話。

カラスはまず、自分がどういう風なものになりたいのかというイメージすら伝えずに、また相手からの提案を求めることなくとにかく染められる。確かにデザインを発注するときに、自分では出来なから頼むわけで、デザイナーにおまかせ、としたくなる心理はよくわかる。美容室で髪を切るときだって、スタイリストさんお任せー! なんて言いたくなる、私も。

ふくろうはこれを職業としている以上、まずはからすに、どんな感じがいいのか聞いてみるべきだった。実際の作業に入る前に、ある程度のイメージの擦り合わせをしておくべき。とはいえ、職人気質で営業が苦手、俺の作るもんが気に入らないなら買わなくてよいというタイプだとこれは難しい。

この悲劇は双方のこのプロジェクトに対する関わり方が他力本願だったというのが原因ではないか。一緒にいいものを作ろうとしていたのではなく、相手がうまくやってくれるだろう、まぁ、納得するだろう、といった態度でいたことではないか。

でも、四十雀やカワセミを染める腕前のあるふくろうにしては、からすの染め方はかなりやっつけ仕事感が否めない。最初からやる気がないのに受注したのだろうな。

はぁ、こう言う仕事って難しいよなぁ〜…

娘は母の頭の中でこう言うことが渦巻いているとはたぶん気づいていません。

外堀を固め責任を回避するために最終判断を誘導するともだちの絵本

子どもに読み聞かせをしていて、読みたくないなぁ、この本あんまり好きじゃないなぁ、というのがときどきある。以前書いた、コミュニティに迎合する為に身体を切り売りして友人を買収して幸せになるお話の絵本 – Erendira’s blogはもう本棚から撤去して片付けてしまった。ほかにもなんだか引っかかる絵本がけっこうあるのだ。

例えばこれ。

くろくんとふしぎなともだち (絵本・こどものひろば)
なかやみわ
童心社
売り上げランキング: 5,422

これもまた頂き物なので、それを悪く書くのは気がひけるが、どうももやもやする絵本だ。

ス トーリーは、くれよんのくろくんがひとりで散歩に行くと、出先でバスくんとかふねくんとかに出会い毎日楽しく遊んでいる。くろくんの頭の減り具合に気づい た他のクレヨンたちが、くろくんどこいってるの、つれてってー、となり、みんなでぞろぞろ遊びにいく。そしたらこんどは新幹線がいた。そしてみんなが「く ろくん、新幹線くんに走ってってたのんで!」とプッシュ。くろくんは言われた通りに新幹線くんに聞いてみる、が、新幹線くんはじぶんは速すぎて危ないか ら、といって断る。それをきいてみんなは「えー、つまんなーい!」といって魅力的な街を描き新幹線くんはうずうず。さらにみんなは「くろくん線路かいて よー」。くろくんは「ダメって言われたじゃん」と断るものの、「くろくんだってみたいんだろ?」と口々にいわれ、だんだんことわりきれなくなって線路を描 く。線路をみたらそりゃー新幹線は我慢できないで走り出す。案の定スピードが出過ぎて新幹線は脱線。そこでほかのくれよんたちは「どうするのー? しらな いよ!」と喧嘩を始める。そこで脱線した新幹線くんがぐにゃぐにゃになって、ぼくは実はねんどでしたー、みんな喧嘩はやめてねー、という。みんなねんどく んに謝り、ねんどくんはトロッコ列車になってみんなを乗せてはしりましたとさ、めでたしめでたし。

まず、タイトルが「くろくんとふしぎなともだち」というのだが、このお話から、くろくんとその他のみんなが友達のようには見えない。たぶん友達じゃない。が、くろくんはそれを苦にすることなく自分で冒険に行って新しい友達をつくった。

ほかのくれよんたちは、くろくんが楽しそうにしていると言ってくっついてきて、新幹線が居るから、走ってみろと言えとくろくんに頼む。ここでわたしはつっこんだ。「そんなの自分で頼めよ」。

く ろくんは、なんというか、パシリっぽい。くろくんはいろいろ頼まれて断りきれずにレールを描いたり、ねんどくんに頼み事をしたりするが、他のくれよんはく ろくんに一言もお礼を言わない。くろくんが自分の意志で楽しく過ごしていたのは、みんながついてくる以前の、ひとりで散歩に行っていたときだけだ。そんな 友達もどきなら居ないほうがいいんじゃ…?

また、くろくん以外のクレヨンたちは、くろくん、そして新幹線くんがそうせざるを得ないような状況を作り出しておきながら問題が起きたらしらんぷりをする。この外堀を固めておきながら最終責任をくろくんに押し付けるような態度がどうももやもやする。

さ らに、けんかはやめてねー、というねんどくんの優しい声がけにたいし、みんなは、ねんどくんに謝る。それは違うんじゃ….? ねんどくんに「喧嘩して ごめんなさい」と謝っているだけで、お互いに(特にくろくんに対し)暴言を吐き責任を押し付け合ったことについては謝ってない。お店で喧嘩した客同士が、 お店に迷惑をかけた謝罪をしただけで、当事者同士は何も解決してないって言う感じ。

さいごにねんどくんがうまくまとめてくれたからいいけれど、それでもやっぱり、くろくんとその他のクレヨンたちの間にあるのは友情とは言えないんじゃないかという気持ちが拭えない。

まあ、世の中にはこういう風に外堀を固め、責任を回避するために相手に選択を迫るようなやり方をする人もたくさん居るし、それが大人のやり方だったりすることもあるだろう。でも、子どもにはそれはまだみせたくないと思ってしまう。

なんだろうこのもやもや。これを子どもに読んでやって何が伝わるだろう?

これも本棚から消えました、ごめんなさい。もう少し大きくなってもう一度出したらいいかなぁ? とも思う。このときくろくんはどんなきもちかなぁ? って考える題材にはいいかもしれない。

レモンは赤くない – 素敵なトリックのある色の絵本 Los Limones No Son Rojos

久々絵本レビュー。

我が子が産まれて数ヶ月の頃、はじめていただいた絵本。

これがとんでもなく素敵な、すばらしい絵本なのです。プレゼントしてくれた友人と一緒に興奮気味にぺらぺらページをめくりました。

スペイン語版ですが、書いてあることは、「レモンは赤くない、レモンは黄色、赤いのは…」といろんな色のことが書いてあるだけの、シンプルな構成。でも、ページにトリックがあるのです。

表紙をみていただくとわかるのですが「レモンは赤くない」なんてタイトルなのに、赤いレモンがかいてあるやんけ! と思うでしょう。このレモンの部分は穴になっていて、穴を通して次のページの色が見えているだけなのです。ページをめくると、左ページにきたレモンの形の穴を通して後ろのページの黄色が見えるのです。あっ、本当にレモン赤くなかった、黄色だった、って思うのです。

って、言葉で書いてもきっと伝わらないのですが、とにかくとってもとっても素敵な絵本なのです、宝物。

既に娘に散々びりびりにされてしまいましたが、テープで補修して大切に読んでる。紙は普通に薄いもので、ボードブック等ではありません。1歳くらいだとあっという間にびりびりになるかもしれない(なんせページに穴が空いているので指を引っかけてびりってやりたくなるみたい)。

調べてみたら英語版もあるみたい。

Lemons Are Not Red
Lemons Are Not Red

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Laura Vaccaro Seeger
Roaring Brook Press
売り上げランキング: 1,870

日本語のは見つけられなかった。

おすすめ!

ロバの背中の移動本棚 Biblioburro

我が子のために買ったというより、自分のために買った絵本。

Biblioburro: A True Story from Colombia
Beach Lane Books (2011-06-28)

 まず、絵がとても鮮やかで美しい。コロンビアのお話なので、コロンビアらしい色鮮やかな花、鳥、ヘビ、蝶、そして山、川などが、奇麗な色で描かれている。

そして、絵もさることながら、このお話自体がとても好きなのだ。

これは、コロンビアで実際にあった(というか現在進行形)のお話。

本 の好きなルイスさんという人が、家に本が溜まりすぎて奥さんに文句を言われる。さぁどうしようかと考えて思いついたのが、遠くの田舎へ本をもっていって、 本に触れるチャンスのすくない子どもたちと本をシェアすること。ルイスさんは早速ロバを二頭買い、本棚を作って本を担いで旅に出る。途中で強盗に襲われた りしながらも、目的地について、子どもたち日本を読聞かせて、一人一冊ずつかしてやる。

童話でもなんでもなくて、現実に誰かがやっているプロジェクトを絵本にしたお話。

私は本をシェアすると言う考えがものすごく好きで(そういうサービス作れないかなーとか思っていたこともあった)、本好きの人が実際それをやっているというこのお話にぐっとひかれた。それも、ロバの背中に本棚、というスタイルがかっこ良すぎる。

wikipedia先生にもBiblioburroのページがあった。

これによるとBiblioburroは現在も継続中。

ブログもあったけれど、最終更新2009年。写真もアップされてるので、ルイスさんのお顔も拝めます。

あー、コロンビアいきたい!

モンテッソーリの敏感期と習慣の科学

モンテッソーリ的には、子どもはうちから湧いてくる衝動にそって特定のことに敏感になる時期があるので、そこで思う存分やらせてやる環境を作るのが大人の役目であるという。

うちの小さい人の敏感期は近頃袋詰め。

近頃、といってももう半年くらいずっと続いているのだけれど、うちの子、何でもかんでも袋に入れる。パズルとかビーズとか積み木とか絵の具とか、そういう細かいおもちゃや、歯ブラシ、スプーン、漏斗、りんごにみかん、お米、お水! 何でもかんでも袋に入れる。でも、もういれたくていれたくてしかたがないっていう爆発感はあまり伴っていなくて(私が止めたりしないからかも)、自然に生活の一部として、全部袋に入れちゃうらしい。なんていうのかな、そこに袋があるから、っていうかんじ。

まぁ、これも敏感期かぁ、モンテッソーリ的にみれば…

なーんて思ってはいるのだけれど、袋に入れたまんま片付けてくれないので、すべての細々したものをまた出してもとの位置にセットし直すのが非常にめんどくさい。たいてい子どもが居ない時間に掃除をして全部リセットするのだが、我が子は帰ってくるとまた袋に入れ始めるので、袋に入れさせるためにリセットしているみたいだ。

袋詰めにするためにはけっこういろんなプロセスがある。

  1. 袋を出す(小さなビニール袋が台所に沢山あるのを知っているので、そこから取り出す。あるいはスーパーの袋など)
  2. 袋がぴったりくっついている場合は指を使ってくちをあける
  3. 指を使っていろんなものをつまむ
  4. 袋に入れる(おとさないように)
  5. たくさん入ったら袋の口を持ってぐるぐるする
  6. 戸棚のとってから輪ゴムをとってくる
  7. 輪ゴムで袋の口を結わえる(これがまだ出来ないので毎回もってくる)
  8. 袋に入ったものをみて「わぁー」という(または満足げな表情をする)

終わったおきの「わぁー」という表情はとても満足げで嬉しそうだ。彼女はこの「わぁー」という喜びに満ちた気持ちを味わうために、これをやっている。

その顔をみて、あれ? これって、Habitじゃないか? と気づいた。

モンテッソーリ視点でみると、敏感期であり、子どもはその衝動に忠実にやっていると言う。しかし、「習慣」に関する科学からみると、これってまさに「習慣」だ。

The Power of Habit: Why We Do What We Do, and How to Change
Charles Duhigg
Random House Books
売り上げランキング: 1,158

先日読んだこの本『The Power of Habit: Why We Do What We Do, and How to Change』にでてくる、ファブリーズをどうやってメガヒットにしたのかという話で、マーケティングが目を付けたのは「掃除を終えたときの主婦の笑顔」だったというのを思い出した。人々は満足感のために何かをする習慣がある。

本書では習慣(habit)の仕組みが説明されていた。習慣とは、

  1. きっかけ
  2. ルーチン
  3. ご褒美

この3つの要素で成立っているらしい。我が子の袋詰め敏感期の場合

  1. きっかけ = 袋がそこにあったから
  2. ルーチン = とにかくつめる
  3. ご褒美 = 満足感、達成感

となっているのだろう。

我が子が産まれてからずっとみてきたが、この人の「きっかけ」はすごくわかりやすい、今のところ。別の人間である私でも、みていてわかる。何か行動をはじめたら、その直前にきっかけがある。或はそのきっかけに触れて『アッ』と思ったのがその瞬間にわかるので、次にルーチン行動が出てくるぞーとおもっていると必ず出てくる。そのきっかけは、多くの場合、場所とか、ものとかにリンクしていて、例えば

  1. きっかけ = 特定の場所を通過する
  2. ルーチン = 特定の話題をする
  3. ご褒美 = 満足感

とか。他の子どももきっとそうだろうという例だと…

  1. きっかけ = ティッシュがそこにあったから
  2. ルーチン = ティッシュを全部出す
  3. ご褒美 = 満足感

とか

  1. きっかけ = 歩道の縁がある
  2. ルーチン = 細いふちの上を落ちないであるく
  3. ご褒美 = 満足感

とか。

あれっ、モンテッソーリのいう敏感期って、習慣じゃないか。

モンテッソーリはこういう敏感期、習慣を思う存分やらせる。自分で満足するまでやらせる。そこから自律性が養われていくと言う。

The Power of Habit: Why We Do What We Do, and How to Changeを読んで出てくる例では、人々が習慣を身につけたり、変えたりした結果、自律した人間になり、生活、仕事、様々な面で良い影響が出てくる。

あれっ、同じじゃないか。

モンテッソーリの学校では、一連のアクティビティを自分で選択してひとりで活動して片付けまでする、というのを徹底している。そして、何回も何回も繰り返すうちに身に付いて、自然にできるようになってくる。これは習慣が形成されるプロセスそのものだ。

最近、本を読む旅いろんなことがリンクしてくる。子どもを持っていなかったらたぶんそういう視点では診れなかっただろうな、と言うようなのもたくさん。いやー、こどもさまさま、面白い。

うちの子の袋詰め敏感期も、ひとつの作業の終着点を『元の位置にすべて戻す』にしないといけないなぁ… その前で満足しちゃってるからどうやって変えたらいいんだこれ。

人間はいかに習慣に支配されているのか – The Power of Habit

Power of Habit: Why We Do What We Do, and How to Change
Charles Duhigg
Heinemann Educational Books
売り上げランキング: 39,532

読了。

内容ももちろん非常に面白かったのだが、それよりなにより、文章力とはこういうものか、と感心しながら読まされるほど、文章が面白かった。私の英語力でも途中で挫折せずに一気に読めるくらい、わかりやすく、そして面白い。

実 例として登場する人々、煙草をやめた女性、薬物中毒の両親からうまれドロップアウトした青年がスターバックスのマネージャになったわけ、ギャンブル中毒の 女性、夢遊病の間に愛妻を殺してしまった男性、負けっぱなしのフットボールチームが優勝したわけ、ファブリーズのヒットした理由、スーパーマーケットが購 買習慣をもとに作る顧客プロファイリングシステムの開発者などなど、それぞれの人生の一部がとてもドラマティックかつ詳細に描かれていて、まるで小説を読 むように引き込まれてしまう。時には涙がにじんだくらいだ。

さて、この本は「Habit」、日本語にしたら「習慣」だろうか、についてあり とあらゆる角度から、さまざままな研究と調査、インタビューなどに基づいて書かれている、実にサイエンティフィックな本だ。巻末の膨大な注釈、引用のリス トをみると、この著者がいかに事実(研究結果や調査結果など)に忠実に書こうとしてきたのかがよくわかる。著者は科学者でも医者でもなく、ジャーナリスト だ。

この本をよむと、いかに自分の日々の生活は「habit」に支配されていることか、と気づく。この本を読むまで、私は日々小さな決断を 重ねているのだと思っていた。例えば朝何を食べるのか、何時に家を出るのか、何を着るのか、どの道を通るのか、日々小さな決断の連続だと思っていたこれら のことが、実は単なるhabitで、つまり脳味噌はほとんどなんにも働いておらず、自動的にその行動をとっている、と知ってしまった。そして今、自分が何 かをするたびに「これは私の意思だろうか、単なるhabitだろうか」と考えるhabitが出来つつある。

本書は大きく三部に分かれている。個人のhabit、組織のhabit、そして社会のhabitだ。個人の習慣の章では、habitがどうなっていて、どうやって作られるのか、を事細かに説明している。

habitとは基本的にこういうループだ。

きっかけ  -> ルーチン -> ご褒美

何がご褒美なのかは実はわかりづらいのだが、このご褒美が何かを理解すると、真ん中の「ルーチン」部分を別のことに置き換えることが可能になる。するとあらふしぎ、困った習慣が理想の習慣へ早変わり!

と、物事はそう簡単にはいかないのだが、基本的なところはこういうことらしい。新しい習慣を作り出すのはなかなか難しいが、既にある習慣を変えるというのは出来ないことではないらしい。

組 織のhabitの章では、弱小フットボールチームの練習方法、スターバックスの社員教育、 Target(アメリカのスーパーマーケットチェーン)の顧客プロファイリングシステムなどが取り上げられる。いずれも行動がhabitになる=オートマ ティックに行動する、というポイントをついている。

社会のhabitの章では、わたしたちは自分のhabitに責任があるのだろうか? と いう深い内容に触れている。例として出てくるのは、愛妻を無意識に殺してしまった夢遊病者とギャンブル中毒で破産した女性だ。夢遊病の男性は、無罪にな る。なぜならは彼は「その行動をコントロールするのは不可能な状態だったから」。けれどもギャンブル中毒の女性も同じだ。彼女のギャンブル中毒はすでに habitとなっていて、きっかけが与えられると自動的にギャンブルをしてしまい、自分の意志で止めるのは不可能な状態だったと言える。なぜ世間はこの二 人に違った印象を持つのだろうか?

本の最後に、habitのゴールデンループを理解し、そのうえでどうやってhabitを換えたらいいのか のガイドが非常にわかりやすく書かれている。実例として出てきたのは著者自身。彼は毎日ついつい仕事中に席を立ってカフェテリアへいって誰かとしゃべりな がらチョコチップクッキーを食べてしまう。クッキーのおかげで太った、やめたい。そのためのフレームワークがはこうだ。

  1. 「ルーチン」を明確にする
  2. 「ご褒美」の実験
  3. 「きっかけ」をはっきりさせる
  4. 計画を立てる

ま ず、この場合のルーチンは、「カフェテリアへいって誰かとしゃべりながらチョコチップクッキーを食べる」だ。ところでこの「きっかけ」はなんだろうか。空 腹だから? 暇だから? 血糖値が下がったから? 休憩したいから? それから、このルーチンの結果得られるご褒美は何だろうか? シュガーは意か? 友 達と話すことか? ちょっと休憩できるからか?

この「ご褒美」を見つけ出すために、自分を実験台にして実験する。やり方は、そのルーチンの 内容を色々換えてみる、という方法だ。たとえは、チョコチップクッキーではなくお茶にしてみる、カフェテリアにそもそも行かないで誰かのところへいって話 す、ドーナツを買ってきて机で食べる、などなど、色々やってみる。そして、ルーチンが終わったとき、この場合は自分の机に戻ってきたとき、感じたことを3 つ書き留めておく。それから15分たってから考えてみる「まだクッキーが食べたいか?」。著者の場合はNoだった。いい気分で過ごせたのは「誰かと会話を した」あとだというのに気づく。つまりこれが本当の「ご褒美」だったのだ。

そしてこのhabitを引き起こす「きっかけ」を見つけるには、それが起こったときに以下のことをメモしておく。

  1. 場所
  2. 時間
  3. 感情
  4. 他の人
  5. 直前にやったこと

これを何回かやると、何がきっかけなのか見えてくる。著者の場合は「午後3時から4時の間」というのがきっかけだったらしい。

と いうわけで著者は「毎日三時半に席を立ち、誰かの机へ行って10分おしゃべりする」というプランを立て、それを実行した。しばらく続けるうちに、これが新 しいhabitになった。「きっかけ」と「ご褒美」は同じだが、ルーチンの部分だけを変えたのだ。ご褒美が何かわかっていると、例えば誰も話し相手が見つ からなくてカフェテリアに行くことになっても、チョコチップクッキーは買わずにお茶で誰かとおしゃべりして帰ってくるということも可能になる。

あー、 おもしろかった。と、ここでおしまいにすると、読んだだけで何も活用しないダメ子さんのままである。変えたい習慣は山ほどあるがどれからはじめるべきだろ うか。本書曰く「キー」となるhabitがあるらしい。例えば人は日常的に運動を始めると、生活のありとあらゆる面でいい影響が出るらしい。と、わかって も… 運動かぁ… と思ってしまう。ルーチンを運動に置き換えるのに最適な、現在私が持っているhabitループは何だろうなあ…

ちなみに日本語訳もあるらしい。 こっちは読んでいないけれどレビューはいい感じです。

習慣の力 The Power of Habit
習慣の力 The Power of Habit

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チャールズ・デュヒッグ
講談社
売り上げランキング: 9,011

“No”と言わない本、NO

No
No

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Claudia Rueda
LAPIS

冬 が近づいてきて、母熊が、そろそろ冬眠しなきゃね、と言うと、子グマは「やだー! もっとあそぶー!」。雪が降るよ、食べ物もなくなっちゃうよ、といって も、子グマは「雪だいすき、嵐も楽しそうじゃん!」なんていってひとりで遊びにいってしまう。母熊は何も言わず、止めもしない。子グマはひとりで遊んでい るうちに、だんだん雪がひどくなって、ママ! と叫びながら母のもとへ。そして「ママひとりじゃさみしいでしょ、つきあってあげるよ」なんて言いながら二 人で冬眠に入るお話。

あったかいお話で、我が子はいつも「Mamá!!!!」のところで一緒に絶叫。

この母熊のすばらしいところは、子どもに対して「No」を全く言わないところ。本のタイトルである「No」は、子どもが言っている言葉。

No、私も言わないように、言わないように、と思っているけれど言ってしまう。もしこれと同じ状況になったら絶対に言っている。

そんなこと言ったって寒いし風邪ひいたら困る、ダメ! って絶対言っている。

そういったら子どもは「やだー! もっと遊ぶぅ〜! ぎゃああああああーーーん!」ってなるのも確実。Noを言わない方が絶対にいい結果になるのがわかっているのに、言ってしまう。これってどうしてなのか。

むずかしい。

一日に何回Noを言っているか、客観的に数えてみたいくらいだ。そしたらきっと言い過ぎている自分に愕然とするんだろう。

ちなみにこの本は日本語訳もあるみたいで、こちらのタイトルは「やだよ」。

やだよ
やだよ

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クラウディア ルエダ
西村書店
売り上げランキング: 599,715

日本語版は読んでいないけれど、スペイン語版はとても素敵な本でした。今夜久しぶりに読むかな。