親バカ

こんなことをいちいち書くのもあれなんだけれど、娘が可愛過ぎて仕方がない。私は昔からなぜか母親になりたくて、旦那はいらんが子供は欲しい、みたいなことを言うちょっとイタイ若者だった。なぜだろう、母親と関係はあまり良くなかったので、親子関係に絶望して、子供なんかいらない、って言っても良さそうなのに。

22の頃に、そのうち子供を産みたいと言う理由でタバコをやめ(5年で肺がピンクになるらしいと聞いて、27には準備ができるなって思っていた。当時の彼氏の子供が欲しかったわけでもないのに)、別に結婚願望は全くなかったし、一体何を考えていたのか自分・・・とも思うが、常に「目の前に赤ん坊が生まれたらもうそれは可愛いに決まってるんじゃないの? 後悔とか絶対しないでしょ」という確信がなぜかあった。

母が40代半ばで夫を亡くし、子供二人抱えているのを見て、「この人はスーパーラッキーだ。遺産も残され、遺族年金もあり、家もあり、働かなくても一生生きていける。普通はこうならない。もし自分が子供二人抱えても一人で生きていけるようになろう」と思ったのを覚えている。なぜか私の未来予想図には夫の姿はなく、自分と子供、しかなかった。多分単に想像できなかったんだろうな、幼い頃に父をなくしたから。

そんなわけで、歴代の恋人とも結婚している姿が想像できなかった私、晴れてシングルマザーとなってしまった。別に後悔はしていないけれど、想像できないと実現も難しいんだな、って気づいた。

さて母親となって12年。一ミリも1秒も後悔したことがない。もちろん自分の時間がなくて鬱っぽくなったりした時期もあったし、シングルマザーゆえ色々大変なことがあったりもするわけだけれど、それでも、子供がいなければ、とか思ったことは一瞬もない。娘が何をやっていても可愛くて仕方がないし、なんなんだこれは、と正直驚いている。

娘が入っているであろう布団の膨らみを見てすら、可愛いと思う。もし中身が娘じゃなくても、空っぽでもぬいぐるみでも、私がそこに入っているのが娘だと思っている限りは、その膨らみすら可愛いのだ。星の王子様のウワバミが怖いように、あるいは空に浮かぶ星が愛しいように、もはや実在を超越して可愛いのだ。

なんなんだろうこれは。

若い頃からの「目の前に子供がいたら可愛くないわけがないし、後悔する訳がない」という妙な確信は当たっていたのだが、まさか目の前に存在しているかどうかはもはや関係ないレベルで可愛いものだとは知らなかった。

自分の人生の軸が娘になってしまうのは非常に危険だと思っているので、できるだけそうならないようにしているが、でも可愛いもんは可愛い。

シングル親の遺書

先日、もう夫と一緒にバイクのらないんだ、二人で死んだら子供が大変だから、という話を聞いた。そう言えば私が子供の頃、父と母は同じ車で移動することがほとんどなかった。母が同じ理由を口にしていた。

私はシングル親なので、うっかりしたことでは死ねないな、と常々思っている。バイクに乗りたいけれど、まだ死ねないので娘が成人するまでは我慢する。あと数年の我慢。

とは言え、いつどんなことがあってうっかり死ぬかもわからないので、常に遺書的なものを用意しておきたいな、と思い続けて12年。一応書いてあってGoogle docに置いてあるが、プリントしていないので私が死んだ場合誰もアクセスできない。

ちゃんと用意しておかないと。

そんなことを常々考えていると、人からは「死なないから大丈夫」「そんな心配しなくても大丈夫」と言われる。よくない未来を口に出すことがよくない、という信心みたいなのもあって、そんなこと考えちゃダメ、とも言われる。別に私は死にたいわけでも死にそうなわけでも、殺されそうなわけでもなんでもない。おそらくまだしばらく死なない、と思っている。でも、ポイントはそこじゃないのだ。

私のいない世界に、娘が取り残されてしまう可能性がゼロではない限り、少しでも準備をしてやりたいと思う、のが一つ。もう一つは、この作業を通して、自分にとって大切なものや人やことがなんなのかがクリアになってくる。書く時期によって、連絡をとって欲しい人のリストが変わる。ああ、私が死んでも、多分もうこの人には直接連絡しなくてもいいな、とリストから削除することもあるし、逆に、もし私に何かあったら、この人には知って欲しい、という人が追加されたりもする。

私は、死を意識しながら生きることが癖になっているのだと思う。

まだまだ長生きするつもりだけれど、今年もアップデートしよう、遺書。

帰る場所

私はずっと居場所を探し続けていた気がする。居場所がなかったわけではない。実家のある街でも、東京でも、タイでも、アルゼンチンでも、イタリアでも、それなりに居場所を作って、それなりに馴染んできた。今まで住んだ場所は全て「帰る場所」だ。

でもいつも、ここじゃない感がずっとあって、移動を続けてきた。なんだろう、この「ここじゃないどこか」を想う気持ち。

海外暮らしをしている間に、自分の国日本帰国していく人たちをたくさん見てきた。海外に長く暮らしていた日本人も欧州人も、40代半ばを過ぎると続々と帰っていく。それを見て、あんなに成功しているのに、こんなに居心地の良い国なのに、暮らしが楽なのに、大きなお家も建てたのに、なんで帰っていくんだろう? って思っていた。

それが突然、40を過ぎて、わかり過ぎるくらいわかるようになったのだ。

帰りたい。

今までも「帰りたい」という気持ちはあったけれど、その度に「でも、どこへ?」と自問して答えが出せなかった。でも、今は答えがわかった。生まれた街に帰りたいんだ。

自分でもこの心境の変化には驚いた。

今すぐでなくてもいいけれど、老後はあの街で、幼馴染たちとお茶を飲みながらのんびりと暮らしたいのだ。18で実家を出てから今まで、ずっと旅をしてきた。人生そのものが旅だった。どこにも本気で定着することもなく、家を買うこともなく、いつもいずれまた旅立つと思って暮らしてきた。もう旅は十分だ。他人の趣味のアパートでIKEAの食器を使うのにも飽きた。

私には帰る場所があったんだ。

娘には、それがあるのだろうか。私の旅に付き合わせて、いろんな国で暮らして育ってきた娘。今の土地には彼女が8歳の頃に来て、現在12歳。なんとか仕事にしがみついてあと3年くらいいたとしたら、この土地が彼女の帰る場所になるだろうか。でも、そうなっても、ビザがないと暮らせない土地なんだ。成人したら彼女自身がなんらかのビザを取らないと住めない土地だ。ビザを維持する心配をし続けながら暮らすのは、疲れる。私はそれを20年やってきた。

彼女が40代半ばになった時に、彼女にとって帰る場所はどこになるのだろうか。

人生の師匠

娘が小さかった頃の日記を読んで、ほくほくしている。なんて可愛いんだ。もうすぐ13歳の今も死ぬほど可愛いが。

娘のおばあちゃんがだんだんLineやWhatsAppのようなツールが使えなくなってきたため、ビデオコールの回数がだいぶ減ってしまった。電話でもうまく話が伝わらないことも多々ある。

そんな時私がちょっとイラッとしてしまって、これこれこうです! みたいな言い方をしてしまった時、娘はそっと私の肩をポンポンして、落ち着いて話しなさい、と諭してくれた。

小さい頃から、私の至らないところを優しく諭してくれていた。小さかった頃の日記にもそんな話がたくさん書いてある。私の人生の師匠は娘かもしれない。

オヤジが死んだ

小学校の頃、仲良しの友達に入り浸って、そこのうちのお父さんからもう一人の娘みたいにたくさん可愛がってもらった。笑いながら「オヤジ!」なんて呼んだりもした。

私は父を亡くしていて、母とはうまくいっていないという10歳で、できるだけ家にいたくないので友達の家にばかりいた。入り浸っている私に、オヤジは小言の一つも言わず、帰ったほうがいいんじゃないか、ともいわず、実の娘とまとめて、いろんなところへ連れて行ってくれて、たくさんのことをさせてくれた。

いつも笑っている人で、笑っている顔しか思い出せない。

私にとってはもう一人の父親、理想の父親、みたいな感じだった。

そのオヤジが死んだというのだ。

友達が、10歳くらいの頃の友達、私、そしてオヤジが写っている写真を送ってくれた。私の娘より少し幼い私が写っている。その写真を見て泣きたくなった。屈託のない友達の笑顔、優しいオヤジの笑顔。はにかんでいる私。

この頃私は父を亡くして1年ほどで、まだ10歳になるかならないかの頃だ。あの頃たくさんの大人に「かわいそう」と言われ、私はその言葉がすごく嫌いだった。でも親になった今、この写真を見て、ああ、かわいそう、って思ってしまう自分がいる。

オヤジは私のことを「かわいそう」という目では見ていなかったと思う。少なくとも、他の大人と違って、そういう気持ちは伝わってこなかった。単純にものすごく可愛い自分の娘の仲良しの子、まとめて可愛がっちゃる! という感じだったのだ。

そんなオヤジが死んでしまったのだ。

最後まで私の話をしてくれていたそうだ。去年会いに行かなかったことが悔やまれる。

ありがとう、オヤジ。私はあなたのおかげで、親の温かさを知ることができ、可愛がってもらうという体験をして、極端に道を外すことなく生きてこられたのだと思う。

ありがとう。

思春期か近づいてきた娘の涙

もうすぐ12歳になる娘。今までずっと基本的に機嫌が良く、泣くことはほとんどなくて、いつも笑っているような子だ。その娘が、泣きそうな顔をしていたので、どうしたの、と抱きしめたら、しくしくと泣きだした。

なぜ泣いているのかわからない。何か漠然とした不安があるようだ。

あと数ヶ月で、次に行く高校を選択しなくてはならない。今住んでいる国では、理系、文系、社会科学系、と高校から別れることになる。友達と一緒に行きたい。でも私の仕事の都合上いつまでここにいるのかわからない。数学は好きだが自然科学はあまり興味がない。何を選んでいいかわからない。不安だろう。

そうだよね、不安だよね、と言ってぎゅっと抱きしめた。絶対大丈夫だよ、でも、そんな言葉じゃ不安は消えないだろうことがわかっていても、言ってしまう。

書いてごらん、と言ってみた。紙でもいいし、パソコンでもいいし、ケータイでもいい。書いてごらん。

でも、何書いて良いかわからない、と娘。「何書いて良いのかわからない」って書き始めればいいんだよ、と私。

何書いて良いかわからない。何かが不安だ。なんで不安なんだろう。そういうことから書き始めればいい。誰にも見せなくていいし、下手くそな字で、下手くそな文章でも良い。とにかく書くことで、少しづつ自分の気持ちや考えが見えてくるんだ、だから書いてごらん。

娘の不安に押しつぶされそうな気持ちを思うと、こちらの胸もぎゅっとなる。

思春期、私は辛かった。すごく。娘があんな辛い思いをすることになるのだろうか、と私も不安だ。娘ならなんでも乗り越えていけるということは疑っていないけれど、でもきっと色々と辛い思いはするだろう。それが成長するために必要なことだとしても、できれば傷ついてほしくない、と思ってしまう。

多分、これは、私にとっても、子離れの第一歩なのかもしれない。彼女が親離れの準備をしているように。ここで私が全て仕切ってレールを敷いて、彼女の選択の自由と権利を奪って仕舞えば、一時的な不安は消えるかもしれない。でもそれではきっと彼女の将来を潰す。私は、苦しみ悩んでいる娘を見るのが辛くても、手を出しすぎず、彼女が自分で選択、決断していくためのサポートをするべきなのではないか。

親であるって辛い。心配の連続で、疲れる。母が「心配させないで、老けるから」って言っていたことを思い出す。でも、親であることの幸せは計り知れない。日々、娘が私に暮れる喜びと幸せは、なにごとにも変えられない。

親にしてくれた娘には感謝しかない。ありがとう。

消えたバイク

恋人が30年一緒に過ごしたバイクが消えた。世界中を一緒に旅したバイクだ。それがあっさりと、消えた。

この街ではバイクや車が盗まれるのは日常茶飯事で、現に彼のバイクが盗まれたことを話題に挙げると、誰もが、自分や家族の車やバイクも盗まれたことがある、というのだ。そんな街だ。

私たちはレンタルスクーターで近所を見てまわり(盗んだ直後はちょっとだけ移動させて数日様子を見る、という手口をよく聞くので)、操車場のような場所も訪ね、インターネットでも聞いてまわった。けれども、なんの手がかりもなかった。

最初の数日は、わたしにも実感が湧かなかった。バイクはきっと帰ってくる、ある日ひょっこり、ただいまって、その辺で見つかるに違いない、という気が抜けなかった。ユーラシア大陸を横切ってロシアまで行ったバイクが、船に乗ってアフリカへ渡り、それから中東へ抜けてシリアを駆け抜けたバイクが、こんなにあっさり消えるわけがない。

しかし、何日経っても、バイクが帰ってくる気配はなかった。

あのバイクは今頃いったいどこでどうしているんだろう、と彼がつぶやいた。

彼の頭の中には、バラバラのパーツに分解されて売り飛ばされてしまった姿が浮かんでいたに違いない。彼がその想像をして心を痛めているのがわかってしまった私は、頭の中でそのイメージを打ち消して、きっとあの子は旅に出たんだよ、と言った。

まるで、カフカみたいだ、と思った。

あのバイクはこのところ不具合ばかりで、バッテリーの交換にいくら、フレームの交換にいくら、電気系統の修理にいくら、などとまるで金食い虫になっていた。その度に彼は、この修理にお金を出すべきか、あるいはもういっそのことさよならして新しいバイクを買うか、という選択肢を考えていた。結局いつも修理する方を選び、修理代を合計すると、別のバイクが買えていただろう金額になっていた。

だから、きっと、あの子は寂しくなって、彼のために、消えたんだ。30年愛され、大切にされてきたんだ。その自分を大切にしてくれたオーナーに、自分の不具合で迷惑をかけ続けるのも、その度に処分を検討されるのも辛かったんだろう。だから、きっと、あの子は自分から消えたんだ。もういいよ、新しいバイクを買ってね、って。今までありがとう、って。

そして彼は、数日のうちに新目の中古バイクを、とても良い値段で手に入れた。30年ものの前の子とは違って、機能も充実、ピカピカの美しい子だ。必要なパーツを買い揃え、ツーリングにも出かけた。彼はとても嬉しそうだ。

きっと前のあの子は、寂しさを抱えたまま、彼を想ったまま、世界のどこかを走っているんだろう。

親になって歳をとり、娘が成長していく

山口百恵の歌う「秋桜」を聴いて、私はずっと娘側の心境で生きてきた。ものすごい久しぶりにひょんなことからこの曲を聴くことがあって、母親側の心境で聴いている自分に気づいてハッとした。

いつの間にやら私は41歳になった。そして娘はもうすぐ11歳だ。

中学生だった頃が本当についこの間で、いまだに中学生の頃のことを思い出してジタバタしたくなったりする。今娘がその歳だ。

人生はびっくりするほどあっという間に過ぎていき、先達から聞かされていた通り時間の進みはどんどんと速くなる。この調子で行くと、人生最後の日はあっという間にやってくる、例え長生きしたとしても。

20代前半、自分は立派な大人になったつもりでいた。自立して(と言っても貯金はゼロ)働いて、なんとか食い繋いでいた。今20歳の子を見ると、守ってやりたくなる。あの頃の私は、裸で、親の庇護もなく、たまに悪い大人の餌食となり、それでも必死に生きてきた。

若い頃の自分を思い出すと、辛いことが色々とあったのに、それを辛いこと、ひどい扱いと認識する余裕もなかった自分が見えてくる。悪い大人たちに搾取され(デザイナーは夢の職業、残業代なしでも喜んでやるべき)、悪い男たちの餌食となり(若い女の子というだけで)、それでも自分は大人なんだと思って生きていた。

年上の男と付き合うことで自分も大人になったつもりでいたけれど、今となってはほんの子供でしかない私を好んでいた男たちに気持ち悪さを覚える。無知な若者から搾取していた経営者たちのことも、当時の私は「こんな私を雇ってくれる」と感謝していた。

41歳の私に見えることが、20歳の私には、16歳の私には全く見えていなかった。きっと50歳になったら、今私には見えてなことが見えてくる。私の周りのもっと年上の人たちは、私の幼さが見えているのだろう。

娘はもうすぐ11歳になる。あと8年弱で私の元を巣立っていく。それまでにどれだけ彼女が準備をしていく手伝いができるだろうか。悪い大人に騙されず、悪い男の餌食にならず、己を信じて、凛として生きていける人に。

私自身がまだまだ見えていないことだらけなのだ。そして見えなくなってしまったことだらけなのだ。どうやって手伝ってやったらいいのだろう。

この10年娘を見てきて、なんとハッピーでかわいい生き物だろうか、と毎日のように感嘆する。可愛さは毎日更新されている。しかし彼女の中に悲しみがある、そしてそれを表に出さないことも知っている。

娘はもう数年で自立し、そしてそう遠くない将来に私を失う。父親とは連絡が取れないので、彼女にとっては唯一の親である私が、ある日死ぬ。彼女はそれを乗り越えられるはずだと私は信じている。その日まで、できるだけ準備をしてやりたいと思う。

KAFKA E LA BAMBOLA VIAGGIATRICE

先日「KAFKA E LA BAMBOLA VIAGGIATRICE(カフカと旅するお人形)」を観劇してきました。

原作はカタラン人によるものですが(おそらくカタラン語ではなくスペイン語で書かれてると思うのですが)、わたしが見たのは、その原作をもとにイタリア語で練り上げられた美しい劇でした。

亡くなる1年ほど前、フランツ・カフカはベルリンのとある公園で、お人形をなくしたとなく小さな女の子と出会います。カフカはなんとかその子を宥めようと、「お人形は旅に出たんだよ」なんて言ってしまいます。すると女の子は「どこへ?」「おじさんなんでそんなの知ってるの?」と質問責め。そしてカフカは「おじさんは、お人形さんたちの郵便屋さんだから知っている」と言ってしまうのです。

そこから、カフカは毎日、お人形からの手紙を書き、公園で待ち合わせたその女の子に手紙を届けます。お人形は、ロンドン、パリ、タンザニア・・・世界を旅し、様々な体験をし、そして、恋に落ちます。

初日は、しゃくり上げるほど泣いていた女の子が、手紙に書かれているお人形の旅に引き込まれ、そして、自分の元から旅立って、自らの意思で世界を旅するお人形を祝福し、別れを受け入れていくのです。

最後の日に、タンザニアで恋に落ちたお人形の手紙を聞いた女の子は、「この手紙が今までおじさんが書いた手紙の中で一番素敵!」と言います。そうです、女の子は気付いていたのです、これはおじさんが自分のために書いてくれている手紙だと。

そして、それまで毎日手紙の最後には「また明日ね!」といって別れていた女の子が、自ら「わたしいかなきゃ。ありがとう、さようなら!」といって去っていきます。女の子の心の傷は癒え、去っていったお人形を祝福し、別れを受け入れ、自ら前へ進んでゆく女の子の姿。帽子を拾っている間に、女の子がいなくなっていることに気づくカフカ…

あまりにも素敵だったので、原作を買いました。

学習障害の疑いで中学校に呼び出された

中学校3週間目にして学校から呼び出しがかかった。最初の数週で学校が色々と検査をしてくれているらしい。検査の結果、理解力はとても高いし、正確性もあるが、とにかく読むのがすごく遅いことが発覚。学習障害ではないかと連絡がきた。

実はわたし自身娘に何らかの学習障害があるのではないか? と疑ったことはある。知能は比較的高いものの、2歳からずっと英語で学んでいるにもかかわらず、スペルミスが多く、鏡文字がなおらない。bとdとpとqを混乱しなくなったのはつい最近のことだ。ただ、モンテッソーリはスペルミス等を直さないので(自分で気づく機会を奪わないため)、そのままになっていたのかもしれない。

しかし「読むのが遅い」については、おそらく言語の問題ではないか? と思う。というのは、娘の英語を読むスピードはわたしよりずっと速いからだ。ディスレクシアだとして文字がうまく読めないのだとしたら、読むこと自体がストレスだろうし、あの読書量にはならないのでは? と思う。わたし自身英語原文でハリーポッター何冊も読破なんてできない。布団の中で寝る前に本を読む習慣もできてきたし、この遅さの原因は言語のせいではないだろうか、と思う。

面談の際に、5月に小学校を飛び級して卒業するために、知能検査や心理検査などをしてもらった結果を持って行った。知能は決して低くはないものの、注意がたりなかったり、わからない言葉を想像して理解する、と言う指摘がある。このわからない言葉を想像して理解する、と言うのは日本語でも英語でもイタリア語でもみられるものの、おそらくイタリア語でやった知能検査のために、語彙力も少なく、余計に目についたのではないかとおもう。

知能検査を受けた時点でイタリアに来て18ヶ月。イタリア語で知能検査受けられるって言う時点ですごいよ! 

面談の結果、ホームドクターに発達の専門家を紹介してもらう処方箋を書いてもらうためのレターをもらった。せっかくなので徹底的に検査をしてみたい。

今日は小学校の卒業試験の結果を再度読み直し、スキャンして担任に送った。確かにイタリア語の評価は低い。ほとんどが4段階評価の3つ目、たまに2つ目。それ以外はほとんどA(一つ目)。

娘のクラスにはディスレクシアの子がいて、その子をサポートする先生がついているらしい。担任の先生の子供も学習障害がある子だそうで、おそらく理解がとてもある。もし娘がなにかしらの学習障害や発達障害があったとしても、それが何なのかを理解してサポートしてくれる人たちの中にいいられるのだろうな、と思うと少し不安が減る。

3週間目。娘はちゃんと宿題をこなし、自分で鞄の中を準備して、忘れ物がないようにチェックし、ランチを自分で作って持っていく。夜はわたしにしばらく絡まったあと「Mommy, good night, I love you」といってベッドに入り、本を読みながら眠りにつく。

なにこのできた子。

2021年読んだ小説、英語編

歳をとると小説をあんまり読まなくなるよ、と母に言われたことがある。とはいえ、母本人はたまに小説を読んでいた。特に推理小説。

わたしは実際この数年は、自己啓発とか、心理学とか、サイエンスとかの本が多くてあまり小説を読まなくなっていたな… 特に、新しい作家や小説に手を出すことがなくなっていた。日本に住んでいないので、本屋でふと知らない本を手に取ってみよう、ということにもならず、この20年近く暮らしたのは英語圏ですらない。英語の本なんて限られている。そんなわけで、20年近く一緒に旅をし続けているクンデラなどを何度も何度も読み返しているばかりだった。

とは言えたまにはAmazonやら、本屋で英語の本を見つけたり、日本人のバザーなどで日本語の本を見つけたり、友達から譲ってもらったり、で、全く小説を読んでいないわけではないのでメモしておく。

英語で読んだ本

Never Let Me Go, Kazuo Ishiguro

昨年のクリスマスプレゼントに自分で自分に買った本。ノーベル文学賞をとった人の本なんだから読まねば! という思いがあったのは否めない。結構重めの内容で、救いがあるのかないのか、どっちかというとない感じで読んでいて辛くなることもありつつ、止められずに読了。

ネタバレしたくないので、内容は書きません。

Intimacies, Katie Kitamura

アムステルダム中央駅からハンブルクまでの電車の旅で読もうと、アムステルダム中央駅の本屋で、本の裏の要約だけを読んで買った本。びっくりするくらい自分の人生における不安定さが重なってしまって、自分のことかと思いながら書いた。

主人公はニューヨークからハーグへ、一年だけの仕事の契約を相手に引っ越してきた女性。仕事の契約の不安定さや、恋をしてもコミットしきれなかったり、相手が完全にavailableじゃなかったり、uncertaintyだらけ。人生の舵をどうきっていこうかというときに、仕事、恋などを考えると身動きが取れなくなり、思い切って決断するときには、自分一人の決断でしかない。読んでいて自分のことかと思いながら読んだ。

後から知ったけれど、オバマ大統領がこの本をお勧めしていたらしい。

Separation, Katie Kitamura

Intimaciesがとても良かったので、アマゾンで買ったKatie Kitamura2冊目。

これまた、自分の気持ちを代弁してくれるかのように重ねてしまいがちな心情がたくさんあった。ただ、シチュエーションは自分とは違うし、非日常の事件も起こるので、入り込み過ぎずに程よく距離を保ちつつ読み進めた。

個人的にはIntimaciesの方が好き。

Kim Jiyoung, Born 1982, A Novel, Cho Nam-Joo

日本語版はこちら

82年生まれの韓国人女性の話。女性が人生で出会う困難を描いている。韓国の話だけれど、日本ととても共通する部分があり、そうなのそうそう、っと思いながら読んだ。

子供ができると、女性ばかりがたくさんのものを失う。男性は今までと同じように仕事ができて、同じように人付き合いを続けられる。でもそれに無自覚な男性。彼らはわかりやすいsexistではなく、むしろ一見女性に協力的で優しい男性なのだけれど、でもその優しい態度から見え隠れする無自覚さ。そうなんだよね。

Fear and Trembling, Amelie Nothomb

日本語版はこちら

フランス人女性が日本でのOL体験をシュールに描いた小説。フランス語圏の友人に「日本てこんなんなん?」と言われて読んでみた。読みながらもう恥ずかしさで辛くなった。

著者は実際日本で働いたこともあり、その体験が元になっているのでかなりリアル。お茶汲み、コピー取り、トイレ掃除… お局さんによるいじめに、おじさんによるセクハラ、パワハラ。外国人の目で見た日本のカイシャが描かれている。

辛くなるけれど、おすすめ。

Identity, Milan Kundera

わたしのバイブル「存在の耐えられない軽さ」のミラン・クンデラの他の本を英語で読んでみようと思い立って買った本。日本語訳にはなってないのかな? 中年女性の不安と自意識の周辺のお話(と書くとすごくざっくりまとめた感じだけれど)。読んでいる間のちょっとひんやりした感じが好きだった。

今年読む積読

Katie Kitamuraが気に入ったので、Katie Kitamuraがお勧めする本を読んでみようと思っている。Asako SerizawaのInheritorsが次の予定。

中学生になって2週間が過ぎた

娘が、イタリアの公立中学に進学して2週間が過ぎた。

初日は「モンテッソーリ小学校に戻りたい」「友達に会いたい」「飛び級しなきゃ良かった」「学校行きたくない」といいながら、しくしくと泣いた。大声で泣き喚くでもなく、嫌だと駄々をこねるのでもなく、しくしくととても悲しそうに泣く娘を見て胸が痛んだ。初日の夜は、わたしにくっ次いで泣きながら眠りに落ちた。

3日目の夜まで、わたしにくっついていないと眠れないと言って、ずっとわたしにしがみついて「学校行きたくない」といいながら眠った。

3日目くらいに、お友達が一人できたと言う。次の日にまた一人。ナーバスだといいながらも笑顔で学校へ行くようになった。

モンテッソーリ小学校では宿題が出なかったので、日常的に宿題に追われるのは今回が初めて。最初に出た宿題は、先生の設定した書き出しの続きの物語を書くこと。もちろんイタリア語でだ。そもそも宿題の意味がわからずにしばらく泣いていた。イタリア語が苦手だ、と思っている。2年のあいだにもうペラペラになっているのに。数学、テクノロジー、音楽などの宿題は一人でサクサクとやっている。英語は簡単過ぎて笑えると言っていた。

最初に泣きながら書いた作文の宿題が戻ってきたのを読ませてもらった。マリアという少女が、両親が出かけている日に屋根裏部屋で古いものを見つけるお話。古い時計に古いティーセット。それぞれに歴史があって、心があって、とても素敵なお話になっていた。先生は内容には全くコメントせず、アクセント記号とか、カンマとか、スペルを直してくれただけだった。

娘は2歳からずっとモンテッソーリ教育を英語で受けてきた。8歳でイタリアに引越し、イタリア語でモンテッソーリ教育。もちろん2年前イタリアに来たときには、娘はイタリア語を一言も解さなかった。最初の一年はほとんどイタリア語を話すことがなかったものの、2年目には飛び級できるレベルまで理解し使いこなしている。

イタリアにいるのはわたしの仕事のためで、いつまでいるかわからない。もしかしたら次はスペイン語圏やフランス語圏、もしくは全く別の言語の国に行くかもしれない。その時のために、本来はずっと英語教育を一貫して受けさせたかった。本当は。でも、わたしの収入ではインターナショナルスクールに送るのはかなり厳しいものがあったので、イタリア語の学校に入れたのだ。

英語教育を受けさせる経済力がなかったものの、今完全なるトリリンガル(日本語の読み書き除く)となっている娘を見て、イタリア語の学校に入れて良かったな、と思う。それにモンテッソーリ環境で愛されて育った経験はとても大きいと信じたい。

わたしの不安定な人生に振り回されて、10歳にして波乱万丈人生を歩んでいる娘。たくましく、しなやかに生きていってほしい。

娘が中学生になった

娘が中学生になった。

忘れ物がないか何度も何度も確認して、スクールバスで学校へ行った。バスを待つ間も、緊張しすぎて気持ち悪いと言いながらわたしの腕にしがみ付いていた娘、きっと大丈夫。

この国に来て二年、最初は一言もこの国の言葉を話せなかった娘が、言語を習得して、飛び級をして、一年早く(日本より小学校が一年短いので、日本に比べると二年早く)中学校へ進学した。わたしの経済力から、今回は公立の学校へ入れることとなり、彼女は数少ない外国人学生となる。

彼女は人生のほとんどすべてを、マイノリティとして生きてきた。とはいえ、二年前まではたくさんのマイノリティの寄せ集めの国にいたため、マイノリティであることが当たり前であり、この間まではモンテッソーリというある種共通点の多い人たちの中で学んできた。今回、本当に、まったくのマイノリティとして、公立校の荒波の中に投げ出されたのだ。

公立の学校なので、当然生徒たちのアカデミックのレベルも、育った環境も、家庭の経済レベルも違う。さて、どうなることやら。

わたしも心配がないと言ったら嘘になるけれど、娘のレジリエンスを信じているので、きっと彼女なら大丈夫だと思う。

公立校ということで、学費はかからないものの、教科書や教材は自分で購入することになる。教科書はクラスごとに違っていて、しかも学校で配ってくれるわけではないので、自分で買わないといけない。中古の教科書を扱っている本屋がこの時期だけマーケットを広げていて、できるだけそこで揃えようと思ったものの、書き込みだらけのボロボロの本を定価の半額で買うことに対する納得のいかなさや、新しい門出にこんなボロボロのものを持たせるのかという申し訳なさに襲われた。

結局中古で買ったのは、見つかった教科書のうち3冊、それほど酷い書き込みのないもの、あとは中古で見つからなかったこともあり、新品で買うことにした。様々な文房具も含め、300ユーロくらいにはなった。娘は本や教科書をとても丁寧に使うので、来年私たちが売り飛ばすときはすごく綺麗なものなのに二束三文で買い叩かれるのか、と思うと次に入ってくる新しい子たちにあげたいと思う。

教科書は死ぬほど重くて、こんなのを抱えて毎日通学するのか、とかわいそうにもなる。

同じ小学校から来た子たちはみんな別のクラスで、娘だけ別のクラスになってしまった。でも、彼女はきっとすぐ素敵な友達を作ってくるだろうと思っている。

中学生、思春期。難しい時期。

程よくつかず離れずサポートしてあげられるといいな。

学校の送り迎えの間に

娘は2歳からモンテッソーリの学校に通っているが、今まで通った3つの学校どこもスクールバスがない。というわけで、2歳から10歳までの8年間、毎日送り迎えをした。途中3年くらい、迎えは大体ナニーちゃんに頼んでいた時期もあったけれど、それでも朝は毎日やった。

9月からスクールバスのある中学校へ行く。送り迎えをするのももう少し。

正直言って送り迎えはきつい。仕事を中途半端に切り上げていかないといけないというのが特にきつい。でも、まいにち車で娘と話をする時間を持てるというのは良い。

自分のことを思い出すと、幼稚園はバス、小学校は一人で徒歩、親と一緒に毎日決まった時間にこうやって過ごした記憶がない。ゆっくり落ち着いて会話をした記憶もあまりない。

私と娘は車の中でいろんなことを話すこともあれば、黙ってポッドキャストを聞いていることもあるし、二人とも無言のこともある(特に私が疲れてる時や通ったことのない道を運転している時)。いつも和気藹々と語り合っているわけではない。でも、それでも、毎日こうして時間を一緒に過ごす、というのは素敵だなあと思う。

今朝は、私が最近読んだ本「Intelligence Trap」の話をした。なぜ頭のいい人がどうしようもない間違いを犯すのか、どうしたらwiseな判断ができるようになるのか、といったサイコロジー周辺の本。そのなかで、日本人は比較的若くwiseな判断力を身につけるが、それは文化的な違いがあるらしい。日本人は小さい頃から第三者の視点でものを考えるように教育されている、これはwiserな判断をするためのself-distancingのテクニックと非常に似ている、という話。それから、自分が賢いと思っていると、見えない部分があってバカな選択をしたり、努力を軽視したり、チャレンジしたりしなくなるので、自分が賢いとは思わない方がいよい、とか。まあこんなことが書いてあったよ、というと、娘は娘なりの考えや思い当たる事例をあげたりして、そこそこ面白い会話をしながら学校に到着した。

家で落ち着いて座ってこういう話をすることはなかなかない。夕食どきには、食べることに一生懸命だったり、動き回るのを注意したり、私は片付けが気になったりして、意外と会話が深まらない。夕食後はそれぞれリラックスして自分の好きなことをしていたりするので、結構話していない。送り迎えの車の中というのは、娘も私も座っているしかないので、することと言ったら会話、となるのだ。

送り迎えがなくなるのはすごく助かるけれど、こう言った時間は今後意識して作っていかないと、娘が一体何を考えどんな人生を送っているのかわからなくなってしまいそうで多少不安ではある。

大きくなったなぁ。

10歳

ふと気づくと、娘が10歳になっていた。ついこの間まで赤ちゃんだったはずなのに、いつの間にか歯もだいぶ永久歯に生え変わり、ガタガタの歯並びでくるくる笑う少女になっている。

娘の目立ち始めたそばかすをみると、自分が子供の頃に私のそばかすにパニックを起こした母が化粧品屋で日焼け止めを買ってくれたことを思い出す。

10歳の記念にピアスをあけた。そして歯列矯正を始める。

娘は今のところとても素直に育っている。だれとでもうちとけ、大人に怖気付くこともなく、ニコニコしながら生きている。まだ思春期前だからか、気むづかしいところもなく、機嫌が悪くなることもなく、塞ぎ込むこともない。

1年飛び級をして、9月から中学生になる。

もう10年経ってしまった。あと10年もしないうちに、娘は私のもとを旅立ってしまう。過去数年仕事に追われ、ストレスにさらされ、娘に優しくできないことも多く、なんて無駄をしてしまったのだろう、と思う。そうは思っても、いまだに疲れている時など邪険にしてしまう。娘はどれだけ傷ついているだろうか。

私が笑顔を見せられないでいると、ニカーっとわらって私を笑顔にしようとしてくれる。私が怒っていると「怒っているママ可愛い」と言ってくれる。この10年、どれだけ娘に助けられていることか。

この10年、娘は私にくっついて南米、東南アジア、そしてヨーロッパと移動してきた。仕事の関係上いつもいつまでその場所にいるのかわからない不安定な中で、彼女も不安があるだろうに、とても楽しそうに生きている。もしまた別の国に行くことになったら、また言葉を覚えてまた友達を作ればいいんだ、という娘。

数年前まで、うっかり自分が死んでしまったら娘はどうなるのかと不安に思っていたけれど、彼女はとてもレジリエントに育っているので、おそらく私が死んでもなんとか乗り越えていけるだろうと思えるようになってきた。

あと数年しかこうやってくっついていてくれないのかと思うと、すでに寂しい。

娘、10歳おめでとう。私の元に来てくれてありがとう。

心理学が面白くなってきた、大学へ行きたい

私は現在インタラクションデザインの修士号を取るために大学院生をやっている。もともと仕事でやってきたことなので、学位を取るのが目的だ。インタラクションデザインは色々と心理学が絡んでくるのだけれど、それがだんだんと面白くなってきて、今度は心理学を本格的に学びたいと思ってきた。特に社会心理学。

今やっている修士号のコースはあと3セメスター、つまり1年半。パートタイムでとっているので3年から4年かかる。2022年の夏で終わる予定だ。2022年の秋から、大学で心理学の学士を取る勉強をしようかな、と考え始めた。

英語で学べるところ、と思って色々とオンラインの大学を調べているのだけれど、基本、私の予算では無理。アメリカやイギリスの大学は高いし、とても払えない。日本の大学はあまり考えていなかったのだけれど、調べ始めてみたらメリットがいっぱい。

日本の大学では、既に大学を卒業していると4年次編入ができ、1年で心理学の学士が取れる、かもしれない。そしてそうなると学費が安い。おそらく取れる学士はBAだけれど、MScのコースで心理学系のBA持ちを受け入れているところもあるので、1年で学士をとってその後別の大学でMScを取ることも可能なのではないか。

ということは大学選びをすると同時に、大学院のも探しはじめておいて、1年後くらいには大学出願のための準備を始めよう。日本の心理学BAでアプライできる海外の心理学系MScを探そう。

私の猫

近頃寝かしつけに読んでいるのは、『ルドルフ ともだち ひとりだち』。ノラねこになってしまったルドルフと、その兄貴分となったイッパイアッテナのお話『ルドルフとイッパイアッテナ』の続編だ。

数年前に飼い主に置いていかれてノラねことなったイッパイアッテナが、ずっと待っていた飼い主と再会し、また一緒に暮らし始めるシーンで、私は自分の猫のことを思い出して泣いてしまった。

私は10年と少し前に、以前住んでいた国を逃げ出した。会社を潰して、一文無しになり、家賃も払えず、日本までの片道航空券代を友人から借りた。猫を日本に連れて行くためには、少なくとも半年前に血清検査をやり(その国でできないのでイギリスまで血を送って検査してもらう)様々な手続きを経てようやく連れて行くことができる。私はアルゼンチンへ行くことを決めていたので、日本へ猫を連れて行く手続きをするのではなく、なんとかアルゼンチンへ連れて行く方法を模索していた。しかし、お金がない。血清検査をやるお金も、様々な手続きをするお金もなく、さらには、会社を潰して全てを引き払って逃げ出す身の上、猫を受け入れるだけの落ち着いた環境がどこにも全くない。結局親友にしばらく猫を預かってもらうことにした。

その後2、3年の間に、何度かその国の友人宅を訪ね、猫たち(友人の猫も)にお土産を持って、私の猫に会いに行った。いつか必ず迎えに来るから、もう少し待って頂戴ね、と。私はまだどこでどうやって身を立てていけばいいのか分からない状態だったのだ。赤子を抱え、無職で、どこの国にもきちんとしたベースがなかった。

友人宅に面会に行くと、猫は少し離れたところから私の様子を伺っていて、一緒に暮らしていた頃のような甘えた態度があまりなくなっていた。悲しみ、怒っていたのだろうと思う。私のほうも申し訳なくて、他人みたいに、すみません、すみません、お迎えに来れなくてごめんなさい、と猫に対して感じていて、距離があった。

その後しばらくして、友人から、猫が野良犬に噛まれて死んだと連絡が入った。

胸が張り裂けそうだった。どれだけ痛かっただろうか、苦しかっただろうか。私に捨てられ(捨てたつもりではなかったけれど実際はそうだ)、最後は野良犬に噛み殺されたのだ。

友人は庭に猫を埋葬してくれ、金柑の木を植えてくれた。私は娘と一緒に友人宅を訪れ、私の猫の体のエキスで育った金柑の身を収穫して、ジャムを作って食べた。

私はイッパイアッテナの飼い主みたいに、再び猫と暮らすことができなかた。迎えに行ってやることができなかった。

娘がお話を聞きながら、一緒になって泣いていた。ないている私のことをギュッと抱きしめながら、一緒にしくしく泣いていた。

またいつか猫と暮らしたいと思いながら、どうしても踏み切ることができないのは、私にとっての猫とは、あの時野良犬に噛み殺されてしまった私の猫だけだという思いがあるからだ。他の猫と暮らすことが、何か裏切りみたいに感じてしまう。今は、いつも遊びに来る野良猫たちにご飯をあげているだけでいいのだ。

近頃娘に優しくできない

優しくできないのだ、娘に。

床の上に靴下やパンツが落ちているのをみると、本当にイラッとして叫んでしまう。ベッドルームには食べ物を持ち込むなと言っているのに、お菓子の殻が落ちていたりして、そして叫んでしまう。私のメイク道具をぐっちゃぐちゃにしてあるのをみると、イラッとして叫んでしまう。

もう嫌だ、叫びたくない。

娘がすること全てにイラッとしているみたいだ。でも娘は、私の機嫌を取ろうとしてニコニコしていたり、面白い話をしたり、ママにくっつきたいと言ってすり寄ってきたりする。

可愛いと思いつつ、そういう時の私は正直「近寄らないで」って思っている。一時的なものだけど、本当に近寄って欲しくない。

こんなママでいるのが辛い。

前の国ではお手伝いさんがいたので、床に落ちているパンツも、ぐちゃぐちゃにされたメイク道具も、私の目につく前にきれいに元どおりになっていたのだ。だから娘は、ママに怒られることもほぼなく、私も叫ぶこともなく穏やかに暮らしていたのだ。

でも今は違う。お手伝いさんなんていない。全部自分たちでやらなくてはならない。

どうして何度言ってもパンツは床に落ちているのか、ベッドの下にお菓子の殻があるのか、メイク道具はぐちゃぐちゃになり、ハイヒールはしっちゃかめっちゃかになるのだろうか。

私は片付けが嫌いだが、散らかっている家はもっと嫌いだ。散らかしている人が知らん振りしてほったらかしているのをみると腹が立つ。

私はPMSに悩まされていた2年ほどを除くと、基本ずっとずいぶん穏やかな人で生きてきたのに、近頃の私はいつも眉間にしわがよっている。何かがおかしい。多分娘が本当の原因じゃない。何か他に、原因があるに違いない。

子供の巣立ちを想う

紫原明子さんが人生で初めて一人暮らしになった話を読んだ。お嬢さんが15歳でフランスに留学したのだそうだ。このコロナの中フランスに行くとはまた大変な決断だっただろうと思う。

私の娘は9歳でまだまだママにべったりだけれど、あと数年したらこういう選択肢もあるのだろうかと思う。しかし、娘の場合、生まれてから3カ国に住み、日本にはきちんと住んだことがなく、「日本を飛び出して世界へ」のようなわかりやすい構図が成り立たない。日本から留学生を送る団体、みたいなものにマッチするのかもわからない。むしろ、日本へ行くことが彼女にとって留学なのだろう。

では娘の場合、いったいどこで何を学びたい、と思うのだろうか。今のところは、ママから離れる、という発想自体が恐怖の対象ですらあるようなので、想像もつかない。それに、わかりやすいずば抜けた才能があるわけではなく(見つけられていないだけかも)、あるいは何かに特別執着しているということもない。好きなのは数学、特に幾何学。体を動かすことと音楽はそれほど興味がなく、アートは幾何学的なものが好き。チェスは嫌いじゃないけれど、情熱を注ぐほどでもない。好きなものなんていつどこで出てくるかわからないので、いろいろきっかけを作ってあげたいとは思っているものの、フルタイムワーキングシングルマザーとしては、送り迎えの時間もその為のコストもなかなか捻出できない。

紫原さんのお嬢さんは、フランスに行きたい! 自由になりたい! という思いが強くてそれが紫原さんを動かした。私の娘にはそれはあるんだろうか。今後出てくるのだろうか。

私も若い頃は自由になりたくて仕方なく、18になって実家を飛び出す日をひたすら夢見ていた。留学なんてすごくお金のある人だけに許された特権で自分には無縁の世界だと思っていて、本当はすごく興味があったけれど、みてみぬふりをしていた。

私の「自由になりたい」は、とてもネガティブな思いだった。その時の現状が耐えがたいもので、とにかく逃げ出したい、どこだっていい、遠くへ行きたい、という思いが思春期以降ずっとあった。だからきっとアルゼンチンなんて日本から一番遠いところまで行ったんだろう。18の時に母の家を飛び出してから、あの家で眠ったことは本当に数えるほどしかない。地元に帰ってもほとんど友人知人と過ごしている。

娘がもし何処かへ行くとしたら、ポジティブな可能性を求めて巣立って行って欲しいと想う。そしていつでも安心して帰ってきて欲しい。問題は、私がまだ、彼女が帰ってこられる特定のHomeを作ってやれていないことだ。私の生き方がまだフラフラしていて、いつも仕事でたまたまいる場所の「仮住まい」でしかないのだ。

日本にいる娘の父方のおばあちゃんの家がある意味彼女にとっては不変の、日本における帰る場所なのかもしれない。

娘は今9歳で、高校生くらいから留学という選択肢を考えるとするとあと数年だ。今のところ考えられるのは….

  • 日本の離島などにあるIBスクールへのボーディング留学
  • 今いる国にもし娘が慣れていて、私が別の国へ仕事で移動したりしたとしてら、彼女はこの国で学びを続けるという選択肢
  • 彼女がもし何かどうしても学びたい、行きたい場所があったらそこへ

結局、娘が「どうしてもあそこであれがしたい!」を見つけるのが先決なのだろう。

ああ、娘よ、大きくなったな。

Einmal ist keinmal

幾たびにも及ぶ、国境を跨ぐ引越しを繰り返し、その度にたくさんの本たちとの別れを繰り返してきた。しかしなぜかいつもそれでも持ち歩いている本というのがあって、その中の一冊がミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』だ。

この本がなぜ好きなのかと問われるとうまく答えられないのだが、この本は私にとって、お風呂の中やピクニックやビーチに行った時にパラパラとどこからでも読む本のひとつであり、何度も目を通してきた愛着があるのだろう。

その時の人生の状況によって、登場人物それぞれに感じる共感や反発が変化する。ふとした時に、この本の中の一節が思い浮かんだりする。何度でも味わえる本だ。

私は大人になってからのほとんどの時間を、サビナみたいに生きてきたという思いがある。軽く、何者にも執着せず、弱さを見せず、弱さを見せるに至る前に身を引く。でも、心のどこかで、ドロドロの重たいテレザみたいになりたいという憧れがあったりもする。嫉妬や悲しみに苦しみつづけるテレザ、なぜそうなりたいのだろうか? それだけ弱さを見せて悲しみ苦しむことができるだけ愛する人と出会うという一点が羨ましいのかもしれない。

Einmal ist keinmal(一度だけしかないことはなかったも同じ)というドイツのフレーズが出てくるが、これについても度々思うことがある。一度だけのことは軽いことだろうか。私たちの人生は、一度しかない、なかったも同じだろうか。でも人生の中で起こるエピソードのなかには、一度しかなくてカウントしないことも実際にある。

メタファーで遊ぶことは危険を伴う、というような表現もあった。私は近頃この本に思うところがあって、自分自身をサビなやテレザと比べて考えたりしている。多くの場合メタファーではなく直喩で考えているけれども、ふとした瞬間メタファーの遊びに陥る。そして気づく。

重さと軽さは、どちらが優れているのだろうか。軽さを持って生きることは、選択したが故の生き方なのだろうか。それとも絶え間なく襲ってくる人生の大波小波を乗り越えるための術として、軽さを身につけたのだろか。重さを持って生きると、波が襲ってくるたびにおぼれてしまう。引き揚げて抱きしめてくれる誰かがいなければ、そのまま海の底で死んでしまうのだ。

テレザとトマーシュは田舎で一緒に暮らし死んでいったことが、結局彼らの幸せだったのだろうか。テレザはトマーシュを独占できて、嫉妬に苦しめられることなく、幸せだったのだろうか。サビナはひとり軽さを持って生きてゆき、それが彼女にとって幸せだったのだろうか。

私は人生においてたくさんの幸せを感じてきた。いつも今が幸せだと思っているし、瞬間瞬間は幸せに満ちており、過去の苦しみなどすっかり忘れてしまう。けれども人生全体を見渡した時、幸せとはなんだろうか、と改めて考えてしまう。

私は刹那的快楽の連続の中で生きているのだろうか? 苦しむことを恐れ、重さを拒否して、生き延びるために軽さを選んできた。しかし、愛する人やもののために苦しむことも、一つの幸せではないだろうか?

人生の中で時々テレザのようになるときがある。そこには苦しみと幸せが同居しているのではないだろうか。サビナのように生きている時は、苦しみとは無縁であり、自信に包まれ幸福感もあるが、そこには自分しかいない。

トマーシュが同僚と踊るテレザを見て、テレザは他の誰とでも恋に落ちる可能性があったが、たまたま自分だっただけだということに気づき嫉妬に狂ったことがある。トマーシュはサビナの軽さを楽しみ、テレザの苦しみに苦しむ。それでもテレザと離れることはできず、テレザの痛みを一緒に感じる。けれども、テレザの痛みを軽減するために自分の行動を変えることはできない。

人生のほぼ全ては偶然に支配されており、一度しか起こらない。私が今まで出会ってきた人たちは皆、数多くの「たまたま」が重なって出会ったにすぎない。それに意味を見出すことはできるのだろうか? それとも「たまたま」の連続だからこそ意味があると言えるのだろうか。

人生は予測不可能で計画通りにいかない。では計画を立てることは無駄なのであろうか? 計画通りにことを進めようとするのは間違っているのだろうか?

最近読んでいる『Black Swan』という本にもそう言ったことが出てきた。事故っからの出奔、パートナーとの出会い、仕事、いったいどれだけのことが計画通りに進んだだろうか? 全てはたまたまの連続に過ぎないのではないだろうか。

運命とはなんだろうか。トマーシュがベートーベンの弦楽四重奏曲第16番の”Muß es sein?” “Es muß sein!”(そうでなければならないのか? そうでなければならない!)というフレーズを使う場面がある。人生において「そうでなくてはならない」ことはなんだろうか。それが「そうでなければならない」と決める要素はなんだろうか。自分自身がそう感じている、ということの他になにかあるのだろうか。

私の人生はたまたまの連続であったと同時に、そうでなければならなかったともおもう。たまたま閉鎖的な日本の田舎に生まれ、たまたま父を早くに亡くし、たまたま母親と関係が悪かった。生き延びるために、私はそこを出なくてはならなかったし、生き延びるために仕事をして、国を移動して、自立し、強く、そして軽くならなくてはならなかった。けれども、他の選択肢を取る人だっているし、これが「そうでなければならない」としているのは私自身でしかないのだ。

永劫回帰という考えは私にとっては恐ろしいものに思える。しかし、一度しか起こらない人生を、なかったも同じ軽いものと捉えることも素直にできない。一度しか起こらない私の人生を、世界中のあらゆる人の人生を、なかったも同じものとすることはできない。しかし、やはりこの人生を何度も何度も繰り返すもので、今感じているこの感情も、幾度となく繰り返されてきたもの、運命に支配されているものだと考えることは、苦しみを伴う。それはそれで、一度のこのエピソードがとても軽いものになってしまうような気がするのだ。

一度しかないとても軽いなかったも同じ人生が、それが一回きりでとても軽いが故にとても重い、と考えることはできないだろうか。私の人生はこれっきりで、昨日の私はもういないし二度と帰ってこない。なかったも同じ、もう消え去ったものだ。けれどもだからこそ、全ての物事、一瞬一瞬が、重さを持ってくるのではないだろうか。