チビータがうまれて一ヶ月ちょい。ようやくアルゼンチンで出生登録ができました。手続きがらみはまた別途まとめますが、とりあえずことの経緯を。いろいろドタバタでした。
チビータがうまれたのは、Hospital Alemàn。両親がアルゼンチンで結婚していてアルゼンチンの婚姻証明書を持っているのなら、そのまま病院で出生登録ができますが、わたしたちはそうではないので、病院での登録はできず、Registro civilというお役所へ行くことに。
Registro Civilの出生登録所のリストを見ると、Uruguayのオフィスが本部のようで何でもできる、とのこと。病院からの帰り道にあるので、病院からもらった出生証明をもってウルグアイのRegistro civilへ。
あとからわかったのですが、Uruguayの本部オフィスは何でもできる代わりに、審査が厳しい、らしいのですが、わたしたちはそんなことも知らず、「リストの一番上に書いてるし」という理由でUruguayの本部へ行ってしまいました。
入り口を入ってインフォメーションで出生登録に来た旨を伝えると「予約はあるのか」と。その時点で一瞬思考停止。え、出生登録って予約必要なの。うまれてそのまま役所に行っておしまい、かと思っていました。
予約先電話番号とURLをもらって目の前のカフェへ。インターネットから予約しようとすると先2週間は予約が取れず、しかし、チビータのパパさんはまもなく一時アルゼンチンを離れることに。近い日にちで何とかならないかと電話でごねるのがベストと判断するも、自分のスペイン語能力では無理とあきらめ帰宅。
同居人に手伝ってもらって電話で予約。父親がすぐ出国してしまうのですぐなんとかできないか、とごねるも撃沈。結局予約が取れたのはうまれてから一ヶ月以上たった7月5日でした。出生登録の期限は40営業日。
さて、7月5日に、自分のスペイン語能力が不安なので、ペルー人の友人と一緒に改めてRegistro Civilへ。今度は出生登録のデスクまで行けたのですが、今度は「ペルー人じゃなくて、アルゼンチンのスペイン語から日本語への公式通訳をつれてこい」と。出生登録は2時半までなので、明日9時半にまた来い、と。ペルー人に対して「Español Argentina」と強調するあたりちょっといやみっぽいというか、わたしの友人はぷんすかしていました。ペルー人もカステシャーノとエスパニョールの通訳いるのかっていう。ちなみに、スペイン語英語の通訳ではダメで、わたしの母国語である日本語でないといけないのだそうです。クメール語とかのひといるのかなぁ。
さて、公式通訳ってどこにいるの、と、聞くと、インフォメーションで聞け、と。インフォメーションで聞いてみると、近くの通訳さんのエージェントのような場所を教えてもらい、そこへ移動。そのオフィスでスペイン語日本語通訳を紹介してくれ、というと、名前が一つだけ書かれた紙をくれました。なんと、ブエノスアイレス中でたったひとりだけ、なのだそうです。
その方に電話をして料金を聞くと、ミニマム2時間で正直思ってたより高い。ぬぬぬ。日本大使館に電話してそういう公式通訳さん知らないかと聞いてみたところ、同じ人を教えてくれました。やっぱりその人しかいないらしい。
ちなみに、大使館の方に公式の通訳をつれてこいといわれた旨伝えると「そんなこという人がいるんですか、はっはっは」と。通常はそのまま登録できるそうです。うーん。
さて、いざその通訳さんに電話をして事の次第を説明してみると、今度はその本人も「そんな話聞いたことない。子供はうまれた時点でアルゼンチン人なんだから親がなんであれ登録できるはず。まぁ、お金払ってもらえるなら仕事だから行きますけど(多分自分でもできるんじゃないの的ニュアンス)」。
おそらく、わたしが行ったときにペルー人の友人が説明してくれて、わたしたちがほとんどスペイン語を話さなかったから、こいつらはスペイン語能力ゼロだと思われて、公式通訳、となったのかなぁ、もしかしたら、自分でがんばればそのままできるんでは? という気がしないでもなかったのですが、出生登録期限の40日ぎりぎりなので、もめて追い返されている時間はなく、これ以上チビータを無国籍状態にはしたくないので、諦めて通訳さんにお願いすることにしました。
お金がかかることよりも、自分の能力で解決できなかったことがものすごーく悔しかった。
翌日、通訳さんと一緒に9時半Registro Civilへ。病院からの出生証明を見せると、「通訳は」と聞かれたので、通訳さんにも登場してもらいました。やっぱり来てもらってよかった。
いざ名前を登録しようとすると、わたしたちの子供の名前のうち一つ目の名前はブエノスアイレス市のリストにないからダメ、とのこと。
それは予想済みだったので、これ日本語の名前からきているのだから認めてくれ、でごねるつもりでしたが「そういう名前の有名人とか、公的書類とかで、その名前が日本で一般的かつ女の子の名前として通用していることを証明せよ」と。
その名前は最近は子供の名前としてポピュラーになりつつありますが、最近なのでその名前を持った有名人というのはまだいません。インターネットの名前ランキングサイトとかでもいいかというと、ダメ、とのお答え。日本大使館へ行って、その名前が日本語の名前で一般的な名前だということを証明してもらえ、と。それがなきゃ認めない、とのこと。
そこで、大使館に電話をしてその旨をご相談。通訳さんが大使館の方をご存知で、直接話してもらうと、そういう名前で申請があるということを証明する書類なら作れないこともない、と。大急ぎで日本大使館へ移動し、事情を説明して書類を作ってもらいました。
その際、1999年の「今後はどんな名前でも自由に付けてよし」という新聞記事のコピーをもらい、今は何だって付けられる、と教えてもらいました。
さて、我が子の名前は日本人の名前なのですが、日本語のローマ字表記のRをLにすると、スペイン語の単語になります。また、その言葉を欧米では女の子の名前として付けている人たちもいます。と、いうことで、アルゼンチンでの名前はLで(後々日本のパスポートもLで申請するつもりですが)登録したい、と、大使館の方に相談すると、今度は「スペイン語の単語を日本語として証明は…」とごもっともな反応。でもRだと巻き舌になっちゃうもん。
名付けの事情や、漢字で書くどうなるかなどを説明して、うまい文章を考えてもらい、証明書を出してもらいました。大使館の皆さん本当にありがとうございます、感謝です。
その書類を持ってまたRegistro Civilに戻り、担当者に見せたところ、その人では判断できないと思ったのか、偉い人のもとにまわされ、そのひとはすぐに認可のサインをしてくれました。ちなみに、担当者に例の新聞記事を見せたところ「これは間違っている」とのこと。
実際本当のところはどうなっているのかよくわかりません。ブエノスアイレス市のサイトに名前の一覧があるのは事実。担当者レベルまで現状の法律の状況が徹底されていないのだろうし、担当者によって対応がまちまちなんだろうと思います。
ようやく名前を認めてもらって、住民台帳みたいなのに書き込んでもらい、両親および通訳がサインをして、我が子は無事アルゼンチン人として登録されました。ちなみに、両親が結婚しているかどうかに関わらず、基本的に子供は父親の姓を名乗るようです。子供のD.N.Iにサインするのも父親です。
通訳さんの話によると、アルゼンチンでは基本シングルマザー(日本でいうところの未婚の母ではなくて、父親の存在なしの子供)というのは認めておらず、両親の婚姻状況はどうであれ、必ず誰かが父親として登録されなければならないそうです。例えば誰が父親かわからないとか、父親に秘密で産んだとかでも、お役所側が事情聴取のようなことをして裁判なりをおこし、父親と思われる人に認知させるそうです。なんかある意味正しいと思う。日本は戸籍で家単位の考え方なので、例えば離婚してしまったら血のつながっている父親がもう父親じゃなくなるとか不思議なことが起こってしまう。
今回手伝ってくれた通訳さんは、Akizawaさんという方でブエノスアイレス市唯一のスペイン語日本語の公式通訳さんです。元々弁護士さんですが現在は引退、通訳としてのみ登録していて、娘さんが弁護士さんをやっているそうです。なんとアルゼンチン在住60年だそう。60年前のアルゼンチンってどんなところだったのかしら。
正直、手続き中のスペイン語は多分わたしががんばれば(なおかつ相手にもコミュニケーションしようという医師があれば)何とかなるレベルで(出生登録なんてやることは基本決まっているし)したが、おそらくお役所さんは一言も英語はしゃべらないだろうし、コミュニケーションを図ろうという感じにも見えなかったし、なにより、もめて40日を過ぎてしまうのが怖かったので、Akizawaさんに来ていただいて本当によかった。在住60年ということで、いろんなお話を伺えたこと、大使館とつなげてくれたことなど本当に感謝です。
いろいろどたばたでしたが、とりあえず、アルゼンチン人になれました! 手続き関係のまとめ記事別途書きます。
次は、日本国籍とその留保、両国でのパスポート申請に、アルゼンチンでの旅行許可証など、やることやまもりです。