お猫様のジャム

数年前、かつて一緒に暮らしていた猫を、自分の都合で友達にあずけて国を出た。そのお猫様に会いに帰るたび、彼女は「なに、いまさら…」みたいな顔をして、ちらっとわたしを見ると、ぷいっと立ち去ってしまう。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

なんと言っても言い訳でしかないけれど、わたしは彼女を捨てたのだ。今更また一緒に暮らしたいだなんて、都合のいいことを言ってごめんなさい、でも一緒に暮らしたいの。そういって何度も面会にいった。

預かってくれているお家ではずいぶん可愛がってもらっている。お友達も手放したくないと言う。でもまたいつか一緒にくらしたい…

そう思っている矢先に、友人から、お猫様が野良犬に噛まれて亡くなった、と連絡が来た。

野良犬に噛まれて死ぬだなんて、そんな苦しい死に方。けっきょくまた一緒に暮らすことはできず、許してもらうこともできないまま、彼女は死んでしまった。

友人は、自宅の庭に彼女を埋め、その上に小さなみかんの木を植えてくれた。しばらくして「みかんが爆発しているからジャムでも作ろう」と連絡が来た。

ひとつひとつみかんを摘んで、切って、砂糖と一緒に煮詰めた。わたしのお猫様のジャムだ。このみかんは、彼女の死体を食べて育ったんだ。それをわたしが今食べる。

彼女はとてもとても優しい猫だった。一緒に暮らした友人達もみな、あんなに優しい猫は見たことがないと言う。家の中で気持ちの落ち込んでいる人がいると、その人のそばにそっと座っているような猫だった。窓の外に閉め出されて、本気でアワアワした顔でニャーニャー鳴いているような猫だった。

友人曰く、死の数ヶ月前から、お猫様はずいぶん穏やかで幸せそうになっていたのだそうだ。調度その頃、わたしはいろんな自分の中の苦しみから少しずつ脱却しはじめた頃だった。「あなたの苦しみが減ったのを感じて、あの子も幸せになったのかもね」。友人の言葉に本当に泣けた。

I love you。

赤ちゃんに魂が宿るのはいつなのか

「来週、羊水検査するんだ」

現在妊娠二か月の友人がそう言った。彼女はいま30歳。自分も同じくらいで出産したが検査はしなかった。外国だと羊水検査が必須の国もあるときくし、この国もそうなのかな、とおもって、みんなするもんなの? ときいてみた。

彼女曰く、必須というわけではないが、医者に勧められたし、自分もダウン症じゃないかどうか心配だし、検査する、という。

そこで当然湧いて切る疑問。

「ダウン症だった場合どうするの?」

そんな質問をしながら、わたしの脳裏には我が子の友人であり、わたしの友人のダウン症の息子さんが浮かんだ。

彼女の答えは「うぅーん、たぶん、おろすかなぁ、魂の宿る前なら」。

へっ? 魂っていつ宿るの? っていうかいままだ宿ってないって思ってるの?

びっくりしてきき返してしまった。

彼女曰く、イスラム教では(彼女はムスリムです)魂は4か月目に宿るらしい。だから今はまだ魂が入っていない、つまりまだ人ではないという解釈なんだそうだ。

へぇぇ。

そういう解釈が宗教的にあるんだ、ということを知ってびっくりしたが、考えてみたら日本も12週以降の胎児は中絶しても死産届をださないといけないし、出産一時金ももらえる。つまり日本は12週で魂が宿るとしているのか。

友人の妊娠出産が問題なくうまくいくことを祈る。

ぺっこん

子供の感性とそこから生み出される言葉の数々。

最近我が子は、しゃっくりを「ぺっこん」と呼ぶ。わたしはいつも「しゃっくり」と言っていたので、しゃっくりという言葉を知らないわけではない。けれども彼女にとって、しゃっくりは「ぺっこん」なのだ。

だって、おなかがぺっこん、ってなるから。

なるほどなぁ、たしかにぺっこんだ。

ピンクタワーと喜びの舞

泣きながら通いはじめた、夏休み後のサマースクール。今までとの違いは、ちいさい人は「こどもの家」に上がったことだ。モンテッソーリは縦割りで、ちいさい人たちの学校は、1歳半から3歳までのToddler community、3歳から6歳までのChildren’s house「こどもの家」とに別れている。我が家のちいさい人はこのサマースクールから「こどもの家」の住人となった。

3歳までのクラスは、日常生活の練習や感覚教育が主となっていたのだが、この3歳からのクラスでは、数学、科学、植物学などの基礎となるような「お仕事」が増える。教具もいろいろと面白そうだ。

そんな「こどもの家」の住人となった我が子を観察すべく、学校へ行ってきた。ちいさい人たちの学校には少し前からCCTVが導入され、オフィスで子供達の邪魔をすることなく様子を観察することができる。

学校のオフィスで大きな画面の前に座ると、我がちいさい人はちょうど「ピンクタワー」のやり方を先生にみせてもらっているところだった。

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ピンクタワーとはモンテッソーリの教具で、1辺が1センチから10センチまで、1センチ刻みで大きくなっていく10個の立方体を重ねるものだ。これを大きいのから順に奇麗に積み上げるお仕事。モンテッソーリではまず先生がやり方をみせ、次に子供にやらせる。子供が間違っても直さない、そのままやらせる。モンテの教具の設計には、子供みずからが間違いに気づくような工夫がなされており、何度も繰り返すうち自分で間違いに気づき、ひとりで完成させられるようになる。

そんなわけで、我がちいさい人は、今日ピンクタワーを教えてもらった。

監視カメラの映像なので声は聞こえないが、我がちいさい人のコミカルな動きでだいたい想像がつく。先生の指示に従って、ラグをころころころーっと広げる。先生に言われて、ピンクタワーの立方体をひとつひとつとってきてラグの上におく。先生のデモンストレーションがおわり自分の番になって自分で積み始める。積む、というのはもう既にできるが、1センチの違いを間違わずに大きい方から順に積むのはまだできないらしい。もしかしたら、大きい方から順に積むと先生のやったようにできる、ということに気づいていないのかもしれない。でもそんなことは気にしない。

いびつに積上ったピンクタワーを見て満足げなちいさい人。タワーの周りをクルクルクルクルまわりはじめた。何週も、何週も。積み上げられた喜びの舞。くるくるくるくる。くるくるまわる人を先生もアシスタントの人も誰も止めない、喜びの舞を踊らせておく。

やがてちいさい人は喜びの舞を終え、ピンクタワーを片付け始める。片付けるときも1つずつもっていく。そしてまたタワーをくみ上げる。またしてもいびつだが、終わった満足感が画面からにじみ出る。ラグをくるくるくるーっと巻いて片付ける。

その後、こどもの家のいろんなお仕事をやる我が子を1時間ほど観察。朝のあの大泣きはなんなんだというくらい、学校を楽しんでいる。もう泣いても知らない!

学校が終わってお迎えの時、今日はピンクタワーやったの? どうだった? ときくと「むずかしかった!」と嬉しそうに答える。きっと明日も来週も、何度もあのお仕事を繰り返すんだろう。そしてまた喜びの舞を舞うのだろうなぁ、と思うとじんわり幸せになった。